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コーヒー時間が私に教えてくれたこと

休日のコーヒー時間を、私は大切にしている。

広さは6畳と少し、良くある都内のワンルームで過ごす数分が私のコーヒー時間だ。

すっきりした味わいが好きなので、酸味が強いコーヒーをハンドドリップで淹れる。

時間を有効活用するという観点で考えると、ハンドドリップは非効率かもしれない。コーヒーメーカーを使えば、ボタン一つ押すだけでコーヒーが出来上がるからだ。

しかし、私はハンドドリップにこだわっている。コーヒーの味が良くなるだとか、器具にこだわりがあるだとか、玄人が言うようなマニアックな理由はない...。

理由はたった1つ、コーヒーを淹れる”あの数分間”を確保したいからだ。
私はコーヒー淹れる”あの数分間”を「自分と向き合う」時間にしている。

豆を蒸らす30秒、お湯を注ぐ百数十秒。この時間が「自分と向き合う」時間なのだ。

私はこの自分と向き合う時間を「余白」と呼んでいる。
お湯を注ぐという行為にのみ集中でき、一切のノイズ(情報)が入らない時間だ。この「余白」で、私は1週間前の自分と対峙し、仕事で犯した失敗...を頭に巡らせる。

失敗したその時は、しっかり落ち込んで何をすべきか思いつかなかった出来事も、「余白」では冷静に振り返りことができる。

何をすべきだったのか、そして、今から何をすべきなのか...等々。

悔しさの感情とともに未来へ向けての行動が湧き出てくる。丁度、一杯分のコーヒーがたまったあたりで、心の整理が終わり、前を向ける状態になっているのだ。

四六時中インターネットの世界と繋がることが、当たり前のネットネイティブ世代の私にとって、ノイズ(情報)が入らない「余白」は希少な時間だ。

意図的にノイズ(情報)から切り離された空間、時間を作らないと「余白」は生まれないといっても過言ではない。なんなら、ノイズ(情報)から切り離されることに恐怖を覚え、「余白」を作ることを恐れていたくらいだ。

不安があればSNSで同じような悩みを抱えている人を探してみたり、課題があれば解決策を求めて、ネットで検索をしてみたり...。情報の海の中でひたすらもがいていたし、それが正しいと思っていた。

しかし、大切なのは、むやみやたらに答えを見つけ出すことではなかった。一息ついて、自分と向き合うこと。自分が何を感じているのか知ることだった。

コーヒー時間は、自分と向き合う大切さを私に教えてくれた。
誰にでもある日常の一コマかもしれないが、私はコーヒー時間がもたらす「余白」をずっと大切にしていきたい。

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