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国会議員の秘書⑥(新年度)

 昭和62年の4月に入って、この年は統一地方選挙があった。第2週の日曜日が京都府議会議員と京都市議会議員の投票日でこの選挙期間中は、野中先生に随行してまわった。野中先生の系列の候補者だけで30人以上が立候補していた。各選挙区で自民党同士、また、野中系列同士の候補者が競い合っていた。各候補者に応援に入るだけでも自分の選挙の時と同じぐらいの日程の動きだった。
 前年の衆参同日選挙後に、野中事務所を退職した一昨年参議院議員を引退をされた前国家公安委員長の二之湯智さんが、京都市議会議員選挙にこの時初出馬していた。この選挙区には、野中系の現職議員の候補者が他にも2人立候補しており、激しい選挙戦を展開していた。どちらかというと現職議員の2人は、世襲だったので地盤はしっかりしていると思っていた。統一地方選挙の前半戦の投票日を迎えると夕方秘書が事務所に集まって用意していた祝辞とお祝いの日本酒を車に積み込んで、当選した候補者の選挙事務所にお祝いに届けてまわるのである。私が担当したのは、京都市内の何人かの候補者と二之湯さんの立候補している選挙区だった。車の中で選挙速報のラジオを聴きながら、当確が出ると当確の出た選挙事務所に行って受付で大きな声で「野中広務事務所です。おめでとうございます。これは野中からお届けするように、言われて伺いました。お納めください。」と言って入っていくと、その選挙事務所に集まってられる支持者から拍手が沸く。
また、当選直後の候補者も歩み寄ってきて、握手をしてきた。ラジオが順調に選挙結果の放送をしていた。私は、ある候補者の選挙事務所が見える少し離れたところで車を停めて待機した。開票は進んでいくが、その候補者の結果がなかなか出ない。日付も変わり、午前1時ぐらいになって全ての票が開き、その候補者の結果は落選だった。
車の中で待機していたが、その選挙事務所に入っていくかどうか迷った。先輩秘書のまわっていそうなところに公衆電話から連絡を入れると何軒目かで先輩秘書に連絡がついた。私は、「落選が決まりましたので、あそこの事務所に入って行くのがキツいんですけど、どうしましょう。誰も帰ろうとされてないんですが。」と伝えると先輩秘書は、「20分ぐらいで行けるさかい。そこでちょっと待っとけ。」と言われたので先輩秘書が来るまで選挙事務所から少し離れたところで車を停めて待っていた。先輩秘書が到着すると落選した候補者の事務所に一緒に入って行った。「すみません。お疲れ様でした。野中事務所です。」と言って入ると、そちらの後援会の幹部が数人私たちをとり囲んで、その中のひとりの方が「お前らの事務所から二之湯を選挙に出したさかい。票食われて落ちてしもたやないけ。野中によういうとけ!」とえらい剣幕で怒られた。私たちは殴られるのを覚悟して選挙事務所へ入って行ったのだが、事務所の奥のほうから候補者が出てきて疲れきった表情で「野中先生からさっき電話もろた。いろんな要因はあると思うけど、私の力不足や。先生によろしゅうゆうといて。今日は、引き取ってくれるか。」と言われたので内心ホッとしながら「申し訳ありませんでした。ありがとうございます。お疲れ様でした。失礼致します。」と言って事務所から出て車に乗り込むんだ。すると先輩秘書が「二之湯さんのところに口直しにいこか。」と言ったのでそちらから10分ほど車を走らせて二之湯さんの選挙事務所に行った。初当選だったので支援者がまだ、たくさん残られていて喜びを分かち合いながら祝い酒を飲まれていた。選挙事務所の駐車場に車を停めて表のスペースに入ると、二之湯さんが奥からスーツのズボンのポケットに手を突っ込みながら、赤い顔をして出てこられた。「おめでとうございます。」と言うと、「おっ!ご苦労さん、どこかまわってきてから来てくれたんか。」と聞かれたので「どことどこをまわって、あそこで落選やったし、怒られてきましたわ。」と言うと。「そらー、俺が出たから落選したと思てるやろな。まー、俺が頑張るさかいその分は、任せとけ。」と言われた。こちらは、明るい雰囲気で先ほどのことも忘れて集まっている支持者の方と笑顔で話をした。そうこうしているうちに午前3時をまわっていたので、帰ることにした。自宅に戻ると午前4時をまわっていた。
投票日の地元秘書の仕事はこのような状況である、

 また、統一地方選挙とは別に私は、野中事務所に入ってこの年は、はじめて新年度を経験したのだが、統一地方選の前半戦と並行して、事務所に出勤していると4月に入り、各自治体は新年度になると人事異動がある。そして、各自治体の課長や部長、幹部になった人たちが新任ご挨拶と赤い判子を押した名刺を持って挨拶にこられる毎日が続いた。事務所では、3月の中旬には、各自治体の人事異動予定の一覧を入手して、以前から関係のあった役所の方にお祝い電報を数百通送る。野中先生も秘書がチェックした名簿をさらに自らチェックして、「この人にも電報を送っておくように。」と言われて何人も新たに印をつけられた名簿一覧が秘書に戻される。このようなお祝いやいろいろな人に対してのことに関しては、先生のチェックは厳しく妥協せずに、詳細に渡って自分の目で確認され、見落としはされないし、事務所の誰よりも京都の人事情報やあらゆる重要な動きについては詳しく、また、それらの情報が野中先生には直接たくさん集まり入ってくるのが早かった。これらは一部のものではあったが、自分であらゆる情報網を張り巡らされていて未公開の情報を誰よりも早く取られていた。

こういう未公開の情報も、無償で入るとよく思われがちであるが、人よりもいち早く貴重で有益な公開情報では、ないものを入手するためには、日頃からの信頼関係を築くためのお付き合いと見えないお金と労力がそれ相応にかかっている。野中先生の情報の取り方を長年見てきた私にはその難しさはよくわかる。しかし、私たちがこれらの情報をいとも簡単に入手していると思われている所もあり、現在、情報コンサルタントとして情報入手をすることも一つの業務の柱として実在するものを売買するものでなく実体のないものを相手にして業務としている私としては、現役の秘書をしている時と同じように情報を提供して当たり前と思われるところがたまにあり、毎回寂しく思う時がある。これも長年秘書をしてきたから仕方ないのかもしれないが、現在の私は、個人でコンサルタント業務を生業としておりこれらが自分の生活の糧の一部になっているのである。現在の私の業務の話になってしまったが、今日は、このあたりにして次回は、統一地方選挙の後半戦について記していきたいと思う。

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