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気づいていたこと。「見捨てられ不安」

先月やっと病院に行って「境界性パーソナリティ障害かな」って言われるより前に書いたものです。多分昨年。今思うと、このころから自己分析して本当は気づいていて、見て見ぬふりしていたかもしれません。消してしまう前にここに残しておきます。

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「私は○○が嫌いです」
今、そう言ったんですけど、昔はこれ言えなかったんですよ。っていうか実は今もこれって言えないんですよ。
ひとってまず否定されるのが、嫌いっていうか、本能的に好きじゃないっていうか。そういう生き物なんですよね。だから○○を嫌いって言ってしまったら最後、じぶんが嫌われてしまう。そう思ってしまうんですよ。
自分で言えないから、他の人が言っているとびっくりします

だから昔、家に居づらいなって思ってた時期があっても
でもご飯食べさせてくれるし身の回りのことしてくれるし、お金に困っている訳でもないし…ってそんなはずないって自分に言い聞かせてました。だから、なんで疲れているのかわからないまま、なんとなく上手く行かないことが増えていって…

それと周りに、特に母には嫌われないようにしようって必死でした。
あと恋人とかもそれは一緒で、嫌われたくないって必死でした。でも自分の限界ってくるんですよね。その度に自分分からないくらい爆発して、で結局「〇〇が嫌い」と思ってはいけないと、考えているので、周りに迷惑かけたなって落ち込むんですよ。
自己肯定感が低いっていうのかな。

それに付随してコミュ障になるので、人と話して楽しくても、家帰ってから落ち込むんですよね。なんか悪いこと言ってないかなって、


こんなもの話したり日記に書いたりすることも避けていて、また居場所なくなるんじゃないかって、
大人になった、かどうかはわからないけど、二十歳すぎたからそろそろそんな照れ恥みたいなものも受け入れないとこれから先長い人生、生きていけないなって思って、


そんな自分受け入れられないのって結局、理想の高い自分なのよね。
もうそしたらいっそ嘘の演劇にしちゃえーって、
演劇ならなにやってもパフォーマンスってことになるじゃないですか、違うって考えもあるとは思うけど。


起きてないことを、起きた事のように心配したり喜んだりできるって人間の想像力の賜物ではあるんですけど、悪い方行くと区切りつきにくい…
現実はそうじゃないのに。

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