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黒猫(ショートストーリー)

 ある日、黒猫を見た。
結構大きな猫だった。
私はイラストやアニメに描かれる黒猫は好きだけれど、本物は少し怖い。
鋭い眼差しで、こちらの心の奥底を覗かれているような気がするのは私だけだろうか。

それから1週間ほど過ぎた時、私はまたあの黒猫に出会った。と言うより黒猫が私の後を歩いていたのだ。
私は気配を感じ、ふと振り向いた。黒猫は私が振り向く事を想定してなかったようで、一瞬猫の目が泳いだ。

「うちでは飼えないよ」
思わず声をかけた。
黒猫は姿勢を低くし、私を上目遣いで見据える。小さい唸り声は私を威嚇しているのか、先程の私の発言に抗議しているのか。
私は自分の身体が少し硬くなったのを感じたが、猫には悟られたくは無かった。
何もなかったように前に向き直り、家路を急いだ。
まだ猫は、私の背後にいるのか?音も無く近づいているかも知れぬ黒猫を、私は怖いと思った。 

私の住まいであるアパートの二階にたどり着き、鍵をカバンから取り出している時に猫の鳴き声が足元でした。
先程の大きな黒猫では無く、小さな黒猫だった。
私は辺りを見回した。金属性の外階段しか無いアパートの2階で、子猫だけでここに上がって来る事はできない。
誰かが、又は親猫が子猫を咥えて連れて来るしか有り得ない。

あの大きな黒猫が連れてきたような気もしたが、初めて会った時も先程も、あの黒猫は子猫を連れてはいなかった。

子猫は痩せていて、お腹が空いているらしく、私のパンツの裾に頭を入れようとしている。母親の乳を探しているようだ。

私は意を決して、子猫を抱き上げ部屋の中に入った。
その時視界の端で、何か黒いものが動いたような気がした。


それから数年が過ぎた。
子猫だった黒猫は、今ではかなり大きな猫だ。でも、穏やかで優しい猫だ。
私はと言うと、年寄りと言われる年齢になって久しい。この猫がいるので一人暮らしも寂しくはなかったし、彼女が来てくれてから、どう言うわけか良いツキに恵まれ、今ではまあまあなマンションに住み、ほどほどの生活をおくっている。
でも、年齢は重い。私のラストデーはそう遠く無く訪れるだろう。
ただ、気がかりは猫の事だ。
私以外の人に懐かない。彼女も猫としては高齢のはずだが、それを感じさせない元気な猫だ。

そして、そのラストデーは訪れた。
私は何の前触れも無く、突然倒れた。
多分これで全てが終わる。心臓が千切れそうに重く息が苦しい。
猫は最後の挨拶のつもりか、私の頬を優しく舐めてくれている。そして私の意識は遠のき始めた。その時、彼女の鳴き声を聞いた。その鳴き声にかぶさるように、別の言葉を聞いた。
「これが最後では」と遠のく意識の中でそう聞こえたような気がしたが、気がしただけだろう。


気がつくと、私は私の頬を舐めていた。
背筋が凍る。
横たわっている老婆は誰?  
確かに私だ、いや、私だった私。
生きている間は自分の姿を自分の目で、全ての角度から見る事は出来なかったが、なんとも妙な感覚だった。私はしみじみと私だった私を角度を変えて眺めた。

それから私は、鏡台の上に飛び乗った、それも軽々と。鏡は正直に私を映し出す。もしやと思ったが私は猫になっていた。死んだのは私の猫なのか。
 
その時、エントランスからのチャイムが鳴った。そうだ、今日は友人達が遊びに来る約束があった。私は最後まで運が良かった。
友人達は私の身体をキチンと終わらせてくれる。それは一人暮らしの私達のお互いの約束事だった。私はラッキーだと言える。孤独死のまま放置される事は免れる。
でも、今、私は猫だ。私はどうなるのだろう。

友人達は管理人と部屋に入って来て、倒れている私の名を口々に呼んでくれた。
「一番最初だったね」そんな声もした。
友人達は、テキパキと動いてくれた。

猫になった私は、これからどうすれば良いのか見当もつかない。
ここに住み続ける事は出来ない。
私はドアが開いたタイミングで部屋から飛び出した。

つまり私は野良猫になったのだ。
結局、野良猫としては生きていけないのは目に見える。遅かれ早かれ。

その時、目の前に大きな黒猫が現れた。
子猫に出会う前に私の背後にいたあの猫だ。

「私がわかっていますよね」
私に近づきながら、黒猫が問いかけた。
私は猫が人間の言葉を話すことに、何の違和感も感じなかった。
「ええ。あなたの事、覚えています」
私は答える。もしかしたら、私は猫の言葉を理解し猫の言葉を話しているのか?
それさえも分からない。

「君は『猫に九生あり』と言う言葉を知っていますか」
「ええ。それって伝説でしょ?それとも本当に猫の妖怪がいるのかしら?それとも、私の猫が?私の猫は私の身代わりになったの?私はなぜ猫になったの?」

「そう一度に聞かれても」
彼は困った顔をしているのだろうけど、黒猫なので表情は読めない。

彼は一つため息をつくと話し始めた。
「私はあなたの猫と兄妹です。私達は魂を九つ持って生まれた特別の猫。
そして、今の魂は九つ目の魂。だから私達の命はこれっきりと言うわけです」

「本当に九生の猫がいたなんて」

「でも妹にはやり残した事があった。心残り、それはあなたに猫になってもらいたかったと言う事。心当たりがありませんか?」

しばらく続く沈黙。
私には心当たりが無くはなかったが、信じられないと言う気持ちの方が強かった。

「妹はあなたの身代わりになろうと思い、あなたと入れ替わる事にしたのでしょう。死んでしまうより猫としてでも生きて欲しかったのかもしれません」

私の猫に、私が何の気無しに話しかけていたのは「私も猫になりたいな」と言う事だ。その言葉を彼女は真剣に受け止めてくれていたのか。

「心当たりがあるようですね。
あなたと入れ替わった妹は死んではいません。仮死状態と言うところです。今頃、あなたの友達が救急車を呼び、病院に着いた頃でしょう」

「私はどうすればいいの?私の猫はこのまま死んでしまうの?」
言いながらも涙があふれる。

「急ぎましょう!病院まで走りますよ!ついて来てください」

私の猫のお兄さんは、驚くようなスピードで走りだす。慌てて私も後を追う。やはり猫の兄妹は妖怪だ。猫になった私も彼について走れる。それは、とんでもないほどのスピードで、風が私の身体を運んでくれているようだった。快感!

お兄さんはどこに行くべきか分かっているらしく、妹のいる病院にほどなく到着した。

私達はいつの間にか、私になっている私の猫のベッドの側にいた。
私の友達は見当たらない。
私の姿の私の猫は、ただ静かに横たわっている。生きているのか死んでいるのかもわからない。
私はベッドに飛び乗った。涙が止まらなくなった。
お兄さんは大きな声を出した。
「早く頬をなめてやって!」

その声に押されて、私は私の姿の私の猫の頬を優しく舐めた。と、瞬間、強い目眩がした。クラクラする頭の中のなにかが入れ替わった気が確かにした。
そして、私はベッドに私の姿で横たわっていた。どのくらいの時間が流れたのかはわからない。

私の猫は私の顔の横で力の抜けた姿で倒れていた。私は彼女を抱き上げ、身体を撫でた。
「私の猫は大丈夫なの?お兄さん!」
思わず、大きな声が出た。
お兄さんは落ち着いて答える。
「大丈夫、しばらく待ちましょう」

ほどなくして、お兄さんの言葉どおりに私の猫は意識を取り戻し、私を見上げて小さく鳴いた。

お兄さんはベッドに飛び乗り、妹を優しく舐めてやった。
彼は私に向き合い尋ねた。
「なんで、妹に名前を付けてやらなかった?」
私は少しうろたえた。
「変わっているけど、『私の猫ちゃん』は名前なのよ」
そう答えたが、彼は納得してはいないようだ。無理も無い、私が彼でも信じられないだろう。

「この子が私のところに来た時、名前をつけようと、思いつくままに色々な名前でこの子を呼んでみたの。でも、どの名前にも興味が無いようだった」
「それで?」と、お兄さん。
「で、『私の猫ちゃん、ゆっくり考えようね』そう言った時、返事をするように鳴いて私の頬を舐めてくれたの。本当よ」
「どうも、私には分からん事だ」
「私の名前は9回ともクロだった」とお兄さん。
「まさか、名前だとはなぁ」
そうため息まじりに呟いた。


私は検査入院をすることになった。仮死状態になったのは事実だし。

クロは飼い主の家に帰って行ったようだ。
私の猫は、友人に預かってもらった。嫌がるかと思ったが、素直に友人に抱かれて行った。


退院して、友人に預かってもらった私の猫を迎えに行った。
「お利口さんだったわよ。うちのミミとも仲良くしていたわ」
「ミミちゃん、ありがとうね」
ミミちゃんは白猫で、美猫。もちろん私の猫には負けるけど。


それから、二月ほど過ぎた頃。
時々、顔を見せていたクロの姿を見かけなくなった。もしや九生を終えたのか、私はそんな気がしたが、私の猫は何か感じているのだろうか。クロと違い彼女は人の言葉を話せない。彼女とクロの歳の差はどのくらいなのだろう。

そんな事を考えていると、私が検査入院をした時、私の猫を預かってくれた友人が訪れた。
友人の言葉に驚く事になる。
 

「ねえ、お宅の猫ちゃん、女の子で間違いないわよねぇ」
「どうしたの?」
思いがけない質問に、私は思わず私の猫を振り返った。
「ほら、見てよ」友人は持ってきたバスケットの蓋を開けた。
子猫だ。それもまだ産まれてから、そう日はたってないようだ。小さな2匹の猫。1匹は白猫、もう1匹は黒猫だ。
「うちのミミの子よ。ミミは白猫だからわかるけど。黒猫はねえ。それにミミはお宅の猫ちゃん以外に猫に会った事無いの。妊娠した事も信じられないのだけど」
友人も繁々と私の猫を伺う。

私もまた、私の猫を見た。私の猫はスッと子猫達の側に身体を寄せた。
そして、2匹の子猫を優しく舐めてやっている。
多分、多分、子猫達の父親はクロだ。私の考えは間違いでは無いと思う。友人の家でクロと私の猫が少しの間入れ替わった事があるのではないか。

「ねえ、1匹もらってくれないかなあ、勿論あなたの猫がこの子達のパパだなんて思ってないのよ。1匹はうちで飼うつもりなんだけど、正直、3匹は…」
「ねえ、どう思う?」私は私の猫に問うた。
直ぐに、私の猫はおチビの黒猫の首を咥えて自分の側に下ろした。

「決まりね」友人は嬉しそうだ。


こうして私は私の猫とおチビと一緒に暮らす事になった。私の猫はおチビの母親のように甲斐甲斐しく世話をする。楽しそうだ。クロはこうなる事を想定していたのだろうか。ありがとう、そう言いたいよ。

そう、おチビの名前を考えなきゃね。
私は、おチビを抱き上げた。
「おチビ、パパはすごい猫だったんだよ」
おチビは「ミュウ」と元気に鳴いた。

窓の外でクロの声が聞こえたような気がした。私の猫は耳をそばだてている。

月の明るい夜だ。
私は猫になり、月の下を走りたくなった。
クロと走った時の風は、クロを覚えているだろう。それでいいのだと思った。

窓を開けると、明るい月からの優しい風が吹き抜けていった。

おチビが目を閉じて大きく鳴いた。



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