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石の声(ショートストーリー)

隕石だと思った。空から落ちてきたから。でも、燃えてないし熱くもない。
拾ってみた。ほんのり、温かい気が。
焦げてもいないし、重くもない。隕石ではないようだ。でも、なぜか惹かれる。宝石でも貴石でもないのに。

優しい色合いが私の気をひく。さわり心地も滑らかで、いつまでも触っていたくなる。
こう、なんて言ったら良いのか、懐かしい思いに包まれるのだ。
この穏やかな満ち足りたような気分を表す言葉はあっただろうか。

私は石をジャケットのポケットに入れて、ポケットの上から指をそっと添えた。なんだか。とても。安心する。

私は自分のアパートに向かい歩き始めた。いつもより足取りも軽い。鼻歌でも唄いたくなってきた。

その時、私の肩を叩くものが現れた。振り向くと初老の男性。高級そうなスーツをさり気なく着こなしている。彼は会社の偉いさんといったような雰囲気を漂わせていた。

「何か?」私は尋ねた。「あなた、それを持っているのは違反です。きっとお返しください」

それだけ言うと彼は踵を返し、あっという間に人ゴミに紛れた。

「何なんだ。返せとは、この石の事なのか。冗談はよしこさん」生前、母が使っていたフレーズが突然口を突いて出た。

『冗談はよしこさん』は、母が若い頃の流行り言葉。母は三年前に早々と逝ってしまった。親孝行の一つもできなかった。

自分で言っておきながら、涙が溢れてきた。小さな声で「お母さん」そうつぶやいた。
すると、母の声が聞こえた気がした。
「マサ君」と。
思わず、振り向いたが近くには誰もいない。
今度は少し大きな声で、「お母さん」と言ってみた。
やはり母の声で「マサ君」とハッキリ聞こえた。

その声は、ポケットの中から発せられたと感じた。
まさかと思いながらも、ポケットから石を取り出した。
「お母さんなの?」そう尋ねた。
石は答えた。「マサ君」と。
それからいくつかの質問をしてみたが、石は『マサ君』としか言ってはくれない。しかし、間違いなく母の声なのだ。きっと天国から母が届けてくれた御守りなのだと私は思った。


それから一年が過ぎ、私にも愛する人ができた。
私は石に尋ねた。
「お母さん、彼女は誰が好きだと思う?」
勿論、石は言ってくれた。「マサ君」と。

「僕、彼女に結婚を申し込むよ。これから彼女が来るんだ。応援してよね」
石は励ましてくれるかのように、いつもより強く、そして優しく彼の名を呼んでくれたような気がした。「マサ君」

そして、僕たちは結婚する事になった。「プロポーズは成功だよ、お母さん」
そう話し掛けたが、母の声は無い。もう一度繰り返した言葉にも母は応えてくれない。
何度もお母さんに呼びかけたが、石はただの石のままだった。

玄関のチャイムが鳴った。
彼女が応対に出てくれた。
私は後から顔を出した。

訪れたのは一年前、石を拾った時に石を返せと声を掛けてきた紳士だった。
「石は役目を終えました。石をお返しください」
私は素直に物言わぬ石を差し出した。
紳士は黙って受け取り、黙ってドアを開け、出て行った。

彼女は紳士を見送ろうと、外に出た。私も後を追った。

しかし私達は、老紳士の姿を二度と見る事は出来なかった。
立ち止まった私に、「マサ君」と優しく呼びかけてくれたのは彼女。
私は彼女の肩を抱き寄せた。

見上げた空に、母の悪戯っぽい笑顔が見えた。
「幸せにね」私には確かにそう聞こえた。