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脳は私か否か(ショートエッセイ)

時々思う事がある。
それは『脳は私か否か』というもの。
いつも突然浮かび上がってくるこの疑問。
脳が「あんた、どっちにしはるんか決めはったん?」となぜか私に関西弁で呼びかけながら、この問題にピリオドを打つようにと、せっついて来る。

私は脳が私だと頭では思う。でももう一人の私、つまり脳では無い私が反論する。心の声とも言えばいいのか。
脳が私であれば、私は脳に支配されている気がする。なんか違う。
私は私であり脳ではない。
ホルマリン漬けにされたあの何とも言えない、あのおぞましいとさえ感じる物体が私の本体?信じたくないが事実なんだろう。
でもやはり許せない。
私の心=脳 なんて。

そんな風に同じことを繰り返し思う。
ほかに考えることはたくさんあるだろ!言われなくともわかっているが。
湧いてくる思いを止められない。
ため息をつきながら脳は最後の決め台詞で締めくくる。これを言われればお開きだ。

I don’t know. 知るか!


くだらない話でごめんなさい。
終わりにしようと思いましたが、このままではちょっと物足らないので、もう少し書いてみようと思います。

一応、私は脳と心はそれぞれ独立していると思って生活している。便宜上その方が納得できるから。

私の脳はあまり優秀ではない。中学まではそこそこ頑張ってくれたが、高校からはあまり働いてくれなかった。それは私が自分の能力以上の高校にマグレで合格してしまい、たちまち落ちこぼれの三年間を歩まねばならなくなってしまったのが原因。それで脳は勉学という世界に完全にそっぽを向いてしまった。

私は隣町の私学に行くつもりであったのに、まさかの事態に両親は喜んでくれ、もう私学に行きたいとは言えなくなってしまった。私だって、その時は嬉しかったのは事実だし。

高校に入学すると、脳は自分の能力の範囲にあらずと暗記も理解もする事をやめてしまった。なので私は勉強も宿題も放棄せざるを得なかった。自他共に認める劣等生の誕生だ。仕方なく私は宿題は皆んなのノートを借りまくる状況に置かれた。
友人達は「表現は少し変えろ」「〆の感想は、自分の言葉で書け」などと?アドバイスもしてくれた。持つべきは友である。

心配されたが、みんなと一緒に卒業できたのは、思うに、先生方のご苦労があったと思われる。
先生方、友人達には感謝しかない。

まあ、こんなふうにおバカな脳をもってしまったが、心である私もなかなかのおバカなので、良い相棒である事は間違いなさそうだ。

産まれた時から脳とは一緒に生きてきた。
終わりを迎えるその日まで、私をこれまで通り支えてくれるかな。あともう少し、元気な私を演出して欲しいと願っている。脳には伝えてはいないが、感謝もしている。
あ、内緒にはできないな、筒抜けだった。

(終)

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