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終わりの始まりになるだろうか

もう誰の目にもわかるレベルになった地球温暖化。

これが果たして人類の営みの結果なのかどうなのかは私にはわからない。

宇宙規模の気候変動かもしれないとまだどこかで思っている。ただ、拍車はかけているかもしれない。

それはさておき、この変化はもしかしたら日本が終わる始まりになるかもしれないとふと思った。

日本が沈没するとか、日本が住めなくなるとか、そういうことではない。

結論からいう。おそらくそう思う人がチラホラ出てきている、日本の四季が無くなる、という気候変動。

春と秋が一層短くなり、夏と冬のニ季になるだろう。
これは理解できるだろう。
そうすると単純に、1年の感じ取れる変化が半分になる、ということだ。

日本(人)が特殊という記事をたくさん散見してきた。
えこひいきすぎだとか眉唾だとか思いながらも、それでもあまりにも海外の人の日本へのリスペクトぶりに、海外どころか本州脱出さえも人生で二回しかない私が、日本(人)の特殊ぶりに自分なりに色々思考してきた。

結果、日本(人)はその土地の特殊性、つまり島国という陸続きではないことで、他族からの侵入の脅威が他国に比べたら極端に低かったこと、しかし地震を始めとする災害が多い、そして四季があり一年で変化するその自然の脅威と恵みの中に人間の力ではどうしようもないことすなわち神を見出し、祈りを捧げ、人とは争うよりも一致団結し、その大いなる神と対峙しないといずれ滅びると遠い先祖がそういう導きを得た、と結論づけた。
だから日本(人)は同調圧力が強いと。そうしないと存続できなかったのだと。

現在の私達が関わっているよりももっと深く深く、自然と対峙し、自然を見つめてきた、つまり四季の移り変わりにも日本人の情緒は大いに影響を受けてきた。

その四季がなくなるのだ。更に日本は今、少子化の真っ最中。

春と秋はなくなり、夏と冬という季節は現在の私達が感じているのとこれからの子供達、将来の日本人となる人達が受けとる夏冬は全く違うものになっている。

真夏は外では動いてはいけない事になっているかもしれない。法律で決められ、これを破った者は罪になっているかもしれない。

桜はどうなっているだろう。紅葉はどうなっているだろう。
この春秋に感じ取れていた情緒を、感受性は失われていて、具体的にナニと言われると説明が困難な、日本文化の一つとされている「詫び寂び」はもう失われているかもしれない。
これからの日本人は詫び寂びを知らない、わからない、ということだ。

四季があったからこその情緒とそこから育まれた日本文化。
決して数で表現されるものではないが、そこをあえて数で表すと四季がニ季になるのは半分になるということ。
情報が半分になる、ということ。

もうそこには今の人達が感じとる「日本人」はいないかもしれないと思ったのだ。

海外からの観光客はもちろん、現在の私達が迎える春、秋は、もうまもなく終わる。

当たり前のように四季を経験していた「日本人」の終わり。

終わりの始まり。


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