ひょっとしたら世界は変われるかもしれない!?
第一章 託す
鳥山明氏がお亡くなりになりなった。
そしてSNSでは世界中から追悼のコメントがあったという。
これから絶頂期を迎えるかと言う大スター、大谷〇平氏よりも実は鳥山明氏の方が世界には名が知られている。
でも某ユーチューバーがおしゃっていて、私も噂くらいなら耳にしたことがあるが、ドラゴンボールはあそこまで長編にする気はサラサラなかったという。
Zどころか、ドラゴンボールだけで本当は終わらせたかったらしい。でもそれは色々な事情で続けることになってしまった。
描くことが楽しくなくなってきた、もう描きたくない、そこまで追い込まれていたようなフシがあると、そのユーチューバーはおっしゃっていた。
描いている絵に遊びや余裕が見受けられないらしいのだ。
【追悼特集】「まず鳥山明という存在が僕にとって何なのか、そこから話します」アラレちゃんやドラゴンボールから見る、鳥山明先生の凄まじい才能について徹底解説【岡田斗司夫/切り抜き/サイコパスおじさん】 (youtube.com)
より。
ワンピースも原作がアニメに追いついてしまいテレビ局側独自のエピソードを入れたとか入れないとか。
ドラゴンボールも原作に追いついてしまい戦闘シーンの緊張感だけで一放送持たせてしまったとか。
その辺りの事情はよくは知らないが、ルパン三世も原作者とテレビ局側の意向がズレて放送途中で監督が降板したりしている。昨今某原作者が自ら命を絶ってしまったということがあったが、そういったことは今に始まったことではなかった(自○した方への批判ではなく、善し悪しはまた別問題)
連載されていた雑誌の意向、アニメ放映されてテレビ局側の意向、グッズ関係会社の意向etc…とにかく諸事情でドラゴンボールは連載していく。
オーディションの声で、鳥山氏の一存で決まったという知る人ぞ知る話で孫悟空役に決まった野沢雅子さん。
追悼コメントに生前会うたびに「悟空をお願いしますね」と言われていたという。
野沢さんはドラゴンボールの悟空、悟飯、悟天の役を持って子供の声を当てるのは引退するとおっしゃっていた。でも悟空には死ぬまで寄り添うとおっしゃっている。
なんだか今新作進行中だそうで、もちろん悟空を演ずるのは野沢さんである。
描くことさえもうやりたくないと追い詰められていた鳥山氏と悟空をお願いしますと言われた話が急にここで私の頭の中で結びついた。
もちろん私の推測でしかないが。
鳥山氏は自分の漫画について「楽しんでもらえればそれでいい」とおっしゃっていた。地球を救うだとか説教じみた話を書く気はサラサラなかったという。
それが話を半ば強制的に続けていくうちにシフトしていってしまった。このあたりにも「描きたくなくなった」理由があったと思う。
そしてもはやイコールで結ばれたといっても過言ではない孫悟空=野沢雅子という存在に孫悟空を託した。自分の思う孫悟空のイメージと離れていってしまった(そうするとやはり思い入れが薄れてしまいますよね)が、それでも孫悟空の存在を軽いものにしてしまわない為にも「よろしくお願いします」と。
託したことで少し肩の荷が降りたのだろう、このセリフを悟空に言わせてもキャラが崩壊しないだろうというようなことが以降描かれた様な気がする(悟空が結婚して子供をもうけたことも含めて)
第二章 世界へ
鳥山氏が亡くなられて世界中から追悼のコメントが寄せられた。それはとりも直さずドラゴンボールが日本のアニメショーンとして認識されていることの証であり、ドラゴンボールが日本のAnimeを世界に拡がる先駈けであると位置づけられている。
それよりも前に、マジンガーZだとか、黒澤明監督の作品なども世界に知られてはいたが、それはごく一部のマニア的な範囲だった。
老若男女幅広く、それこそ全世界的規模で支持されるようになった、という意味でドラゴンボールが日本のアニメショーン先駈けと位置づけられている。
世界中の追悼のコメント内や画像、動画などを見てみると、Z以降だ。つまりドラゴンボールがドラゴンボールだけで終わりだったら世界にこんなに広まらなかったかもしれない。
鳥山明氏が意図しなかった方向性でドラゴンボールが世界に広まった。もしかしたら自分の力ではないと思っていたのかもしれないし、産みの親であって育ての親ではないと思っていたかもしれないし。そこは推測でしかないが。
第三章 ゴジラ
ゴジラ−1.0がアカデミー賞視覚効果賞受賞という快挙を成し遂げた。
名だたる映像技術屈指の映画の中、視覚効果がすごいしかも低予算で、というところが受賞の理由らしいが、私は他のところに気が向いた。
ゴジラを観た海外の人(米人だと思うけどわからない)の感想が「ゴジラは私たちが産み出したのかもしれない」という感想だった。
ここが正にゴジラの真のテーマだ、本当は。
原作者は香山滋という人だが、ゴジラによって核の問題を提示したかったのが本当の意図だ。
が、世間はゴジラVS怪獣という方向性にいってしまい、苦悩していた、というような話を見聞きしたことがある。
第四章 苦悩
ゴジラもルパン三世もドラゴンボールもみな同じ苦悩に直面している。
即ち原作者が意図しない方向で広まるということだ。
ゴジラはどういう経緯があったかは知らない。ルパン三世は「キャラクターの基本設定を崩さなければ使用勝手」として、原作者モンキーパンチ氏は以降、一切口を出さず、でもそれ以降のルパン三世は一切見なかったという。(晩年はルパン三世がここまで認知&継続されてよかったとおっしゃっている)
それにはもちろんかの有名な「カリオストロの城」もしかり。
宮崎駿監督は「ルパン三世はもう盗む価値あるものはなくなった」として「貴方の心」を盗ませたというセリフに繋がる。没になった押井守監督のルパン三世の映画構想ではルパン三世自身が無くなった(盗まれた?)というものだったらしい。
第五章 継承
でもその意図を読み取り継承したものがいた。ルパン三世もゴジラも。
少し前に放映されたルパン三世PAET6ではルパンは人〇しもしていて、カリ城やら赤シャツルパンに傾倒してた人には不評だったらしいが、私はファーストルパンと呼ばれる青シャツ時代に衝撃を受けたおそらく最小の世代。これもいいよね、と難なく受け取れた世代だ。おそらくPART6を主導した人たちもそうだろう。年月を経て自分たちが継承し、そして作れる立場についたのだろう。
ゴジラも継承されている。単なる破壊ではなくて、ゴジラ誕生の意図したものをしっかりとくみ取り、そしてバージョンアップしている。
ただ私はその過程にある、ゴジラvs怪獣の映画や赤シャツピンクシャツのルパンを否定しているわけではない。
好き嫌いで言えば好きではないが、こうしないと継続もしなかっただろうし、継承されることもなく消えていただろうから。
ゴジラも世界に知られていったからこそ、今回のゴジラ-1.0も多くの人にみてもらえた。ドラゴンボールも続いたからこそ、世界中に広まった。
第六章 ひょっとしたら世界は変わるかもしれない
日本が顕著に世界に影響力を持ち始めたのは文明開化明治時代以降第一次世界大戦前後だが、太平洋戦争で負けてマッカーサが天皇陛下に面会した時も、その前のペリーが浦賀に上陸したときも、フランシスコザビエルがキリスト教を広めるために日本に来たときも、その前の元寇時でも日本人への驚きを記している。
近年にいたっても来日した著名人や偉人がこぞって書き残している。日本は世界の希望の光とまで言ってのけている。
これまでは偉人やセレブやごく一部のエリートだとか識者達だけだったが、ここにきて一般ピープルに浸透してきている。日本に旅行にくる人達もさることながらアニメやゴジラから日本の本質を感じはじめている。
日本の本質とはすなわち共存共栄。八百万の神。
世界ははっきり善と悪に分かれるものではないこと。日本には死神でさえ神。悪魔とはまた違う。
共感性。人の痛みを自分のことのように感じること。そもそもこれがあれば人を故意に傷つけようとする行為はしないしできないし。
日本にだって酷い人はいる。でも圧倒的に少ないのは確かなようだ。
そんな日本がアニメやゴジラなどを通じて世界に浸透するかもしれない。
そうしたら世界はひょっとしたら変わるかもしれない。
私が生きている間はないかもしれないが、人類の歴史はまだまだ全然浅い。この先フェーズが変わるかもしれない。
もっともそれまでこの国が持つか
人類が滅びるのが先かもしれないが。
最後に注意事項
私はゴジラ−1.0は見はぐった。
ドラゴンボールはピッコロ止まりだしルパン三世はピンクジャケット時代はほぼ見ていない
ということを付け加えておく。
似たようなことを思っていた人がいた
1924/3/20追記
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