自らの意思による決定

気付けば3月から書いていなかったnoteなんとなく書く気にならなかったけど、やはり文字を書くというのは読むことと同じぐらい大切なのでちゃんと書こうと思います。。。。

今日東京に来て研修を含め4社目の店をオーナーと現状と今後を踏まえ退職した。円満な退社だ。
上京当初は自分がこんなに店を転々とするなんて思ってもいなかった。

自分は口だけで根性ないなぁ~とかダメな人間だとか思う毎日で正直自分が嫌になることもしばしばあったり、、、。

3月~5月あたりはこのままでいいのか?なんて悩みと将来への得体の知れない不安で頭と心がいっぱいいっぱいでしたが、見方を変えればマイナスなことばかりでもなくその中で気付けたこともありました

自分で意思を決定する

「自分で意思を決定する」なんて子供じゃないし誰でも出来ると思っていたけど、振り返ってみれば全然まだまだ未熟だったように思う。

大学に行きたいから大学に行ったし飲食をやりたいから大学を辞め今の仕事を始めたし東京に行って色んなものを見て学びたいから東京にきた。

その時は悩みながらも「自分で決めたから」とやっていたけど、何かの節目だったり何かを決断することを迫られた時必ず親やお世話になってる方に相談をしていた。そしてその助言に耳を傾け理由をつけて自分を納得させ意思の判断を相談相手に委ねていたのかもしれない。

あの時あの瞬間あの人がこう言ってなければ自分は今なにをしていただろう?と思うことさえある。
これが決して悪いわけではないが、他者に身を任せすぎることも問題であると思う。

他者に相談するとき他者の意見はあくまで判断材料に過ぎない。その判断材料を元に自らで考え意思を決定しなければいけない。「◯◯さんが◯◯って言っていたから」といった具合に人の考えや話に自分を左右させ過ぎてはいけないんだと思う。

人に正解を求めない

自分の意見や考えやり方などに対して正解を求めていた。
不安だから「自分は間違ってないよね?正しいよね?」と人に決められるはずもないことを不安になる度に聞いていた。

自分の人生や生き方に対して他者の意見が主になることほど退屈なものはない。自分は左だと思っても他者が右と言えば右を歩く人生は、ある意味自分の人生ではない。

もちろん人は不安になるし、悩みもする。だから人に話す。それでいいと思う。本当は弱いのに表面だけ良い格好をして歩くのも疲れる。

ただ自分の本心や芯の部分において誰かに正解を求めたり意思決定を委ねると何かに縛られているような気がするし、気も重いし何より楽しくない。

近くに誰もいない環境だからか、23歳になってようやくこのことについて気付き自分で意思決定を出来るようになった。1つ前進。
さて明日からフリーター藤原頑張ります!

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