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02. ボランティア前に得た2つの課題意識

今、私はポーランドに向かうバスの中でこれを書いています。

華やかで古典的な建物が立ち並んでいたウィーンを離れ、いくつもの草原を通り過ぎ、チェコ共和国を越え、大雨が降るポーランド国内を走っています。

昨日、ウィーンに1日だけ滞在して現地パートナーNGOの方々とお会いし、ウクライナの歴史や支援の現状について伺いました。

質問を通して理解を深める中で、まだぼんやりしていますが、私は大きく2つの課題意識が出てきました。

まだ自分ゴト化できていないのでは?


ウクライナとロシアの複雑な関係性は、決して最近始まったことではなく、何百年も前から続くもの。

その歴史に、高齢の方を中心にpainfulに感じている人が多くいらっしゃると聞きました。

私はこれについて、「若い世代はどんな感情や認識を持っていますか?」と質問しました。

その回答の中で「あなたは広島についてどう感じますか?」と聞かれ、私は「広島が被った状況について、ただその点において痛みを覚えます」と答えました。

すると、「それはウクライナの若者にとっても同じで、高齢の方より程度は和らぐかもしれないが、若い世代もpainfulと捉えている」と話していらっしゃいました。

それを聞いて、今までウクライナの現状を自分の知っていること、身近なことに置き換えて考えたことがなかったと気付きました。それはつまり、まだまだウクライナのことを自分ゴトと捉え切れてないかもしれないということ。

今までは、メディアを通して情報を収集することで、満足していたところがあったように思います。これからは、「知る」という段階で終わらせるのではなく「考える」「想像する」という段階まで踏み込むことを心掛けたいと思います。

昨日までPeaceful Normal Lifeを送っていた人々


NGOスタッフの方からのレクチャーで、再びこの表現と出会いました。

難民となった人々は、昨日までごく普通の平和な、穏やかな生活を送っていた人たちなのだと。

何度か耳にしていて、これを意識することが大切であると理解しているつもりではあります。

でも、何度も聞くということは、実はこれを理解して行動するということが、すごく難しいことなんじゃないかと思い始めました。

私は本当に彼らを自分だと考えて物事を捉えることができるだろうか。
「昨日までPeaceful Normal Lifeを送っていた人々である」と意識した行動や態度とは一体どんなものなのか。

まだぼんやりとしていて、少し不安にもなりました。

だからこそ、今ここに書いていることを読み返し、自分自身に言い聞かせることで、少しでもその姿勢や行動のあり方を理解できるような心構えを維持したいと思います。



わざわざウィーンに立ち寄った理由は、こうした心持ちを得るためだったのだろうと思います。活動前に大切な気づきを得ることができたことに感謝します。

この気づきを意識しながら、これから始まるボランティア活動に尽力したいと思います。

私たちが乗るバスは、すでにクラクフの街中を走り始めています。
もうすぐ、目的地に到着しそうです…