【11】 救急搬送
高3に進級する頃に、O高校は辞めた。ほどなくしてQも高校を辞めたらしい。
私がなんとか単位制高校に編入し、精神科からもらった処方薬をかじりだした時期には、もうQともKとも連絡を取らなくなっていた。ブロンを飲みはじめ、自然とSくんとも別れた、確か18才頃、
「大学へ行かないのなら何か資格を取りなさい」と、母につれられて、ヘルパーの資格をとった。
母は歯科衛生師の国家資格を生かして働いていたが、老人ホームなどの施設をまわる訪問歯科へ職種を広めるべく、ヘルパー育成講座に通うところだった。ただ大学へ行きたくなかったという理由だけで、母について講座に通ったが、介護職につく気はさらさらなかった。
講座を卒業し資格が取れるタイミングで、そこから職を幹施された。
その頃まだ働いたことのなかった私は、これからイチから職を探すのが憶却で、なんとなくその紹介を受けて就職先を決めた。しかし数日ですぐに辞めた。お局的な女が牛耳っているクソみたいな環境だったので罪悪感はなかった。入居者がかわいそうだと思った。
しかし働かない訳にもいかず、ブロンの力を借りながら、なんとかバイトを見つけだす。
そう。ブロンがあったから頑張れた。精神科の処方薬はどれだけ飲んでも効果はなかった。生きるやる気を出すため、働いて稼ぐため、一日一本のブロンを消費する。
次に働いた駅前のパン屋バイトは良かった。朝の6時から12時の間、届くパンを並べたりレジを打ったりしていると、あっという間に時間が過ぎた。店長も先輩もみんな優しく居心地は良かったが、それだけ "普通の人間" として普通に働くことが、ブロンありきで成り立っており、つまりブロンがないと常人に備わっているだけの生きる力がまるで皆無だった。
12時にバイトが終わり、帰宅途中でブロンを手に入れる生活が続いたところで、ついに飲みすぎてやらかしてしまう。
自分の部屋で寝ていたはずが、目を覚ますと、私の顔を覗きこみ号泣する母と、大きな体の救急隊員が2人、私の部屋にいて、すごく驚いた。完全に寝起きの気分でその異様な空気感に包まれて、なにがなんだか分からず混乱したが、すぐに「やってしまった」と察した。机の引き出しを開けるよう伝え、ブロンを見せる。
救急隊員が「あぁ~」と漏らし、全て悟った冷たい目になったのを覚えている。母にODがバレた瞬間だった。もうどうにでもなれと思った。