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人間の寿命のはなし

昨日ごはんを食べてたら、友達が「そういえば人間の寿命って本当は38歳くらいらしいよ」って言った。

それが本来の寿命だとしたら、わたしのお父さんもお母さんももう死んでる。
そこら辺を歩いてるひとたちの多くももう死んでる。
医療技術の発達やライフスタイルの向上、変化によって、みんななんとか生き永らえてるんだなあって思ったらふしぎな気分になった。
これを読んでるあなたは、あと何年で寿命を迎えますか?
なかには、やっぱりもう死んでるひともいるんだろうか。

「人生が38年しかなかったら、わたし、もっとたくさんごはんを食べてると思う」って友達は言う。「たしかに。もっと無茶なことするよね。胃袋パンパンになるまで詰め込んで、吐いて出して空っぽにしたあと、また食べたりするかもしれない」って返したら、「それはない」って言われた。そうかな。あと20年で死ぬ、って考えたら、わたしは今すぐにでも子どもが欲しい。
子どもが成人するまで、成長を見届けてからいなくなりたい。
それが親になることの義務だと思うから。

「38年はさすがに短いけど、でも100年は100年で長すぎるよね」って言った。
わたしは自分が老人になる姿を想像できない。
ひとりきり、ふらふらと覚束ない足取りで、電車に乗って移動して、少し遠い町の病院に通うような自分が、未来に存在するとはどうしても思えない。

特別積極的に死にたいわけではないけれど、べつに今死んじゃってもいいな、と思うことはある。
わたしの人生のなかでもそう多くはない、たった一度しかできない経験のひとつが死だ。
突然訪れたそれに抗えず、現世に未練を残すくらいなら、わたしは自分でそのタイミングを選びたい、って思う。
大縄跳びに「今だ!」って飛び込むような感覚でそうしたい。

「38歳になったら、いっしょにお葬式をしようよ」
「えーじゃあ入棺のときに流す曲は何にする?」
みたいなことを話していたら、ちょうどデザートに頼んだチョコトーストが運ばれてきて、それが思いのほか分厚かったから、「こんなの食べきるの無理じゃない……?」にお葬式の話題は飲み込まれてしまった。
(結局食べきれなかった。)

いっしょにお葬式をしたい。
もしも生きているなら、知ってるひとみんなのお葬式もしたい。いっしょに。
38歳おめでとう、寿命を超えて、まだ生きていて、がんばっていてえらいね、って言いたい。
そこからはもしかしたら、2周目の生になるのかも。
そしたらさらに開き直って、もっと余裕になって、きっと楽しいことばかりになるのかも。

今も楽しいことばかりだけど、どんなに賑やかな場所でも、ふしぎと静かになる瞬間がある。
何も聞こえなくなって、誰といても「ひとり」になる。
知らない街にふらりと行きたくなる。
ひとけのない道をわざと選んで歩きたくなる。
ぼんやり、陽が落ちるまで海を眺めていたくなる。
この気持ちに答えはなく、この穴を埋めるものはきっとない。
でももし埋められるとしたら、それは恋とか愛とかなのかもなあって思った。
笑っちゃうけどね。

ねえねえ聞こえますか。今どこにいますか。
誰といますか。何をしていますか。
お元気ですか。
今日はこちらは寒いです。そちらは寒くないですか。
きっともうすぐ、近いうちに冬が来ます。
どうか温かくしてお過ごしくださいね。どうか。

この世界のどこかで、確かに息をして、生きているあなたへ。
好きだよ。

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