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些細な悲しみに殺されない

うれしいことはそんなに続かないのに、どうして悲しいことは重なるんだろう。

わたしの家は二世帯住宅で、父方のおじいちゃんおばあちゃんとは生まれたころからずっと一緒に生活してきた。
おじいちゃんとおばあちゃんは1階に、父と母とわたしは3階に。
2階は共有で、ごはんを食べたりは2階でいっしょにすることが多かった。
ただ、おじいちゃんたちは階段が苦手だったので、なんとなくふたりは1階で、わたしたちは2階で、ということも多かったように思う。

小学校低学年のときにおじいちゃんが入院生活に入った。
わたしはおじいちゃんが少し苦手で、なぜならいつもむすっとしていて、怒られることはあってもあんまり褒められたことはなかったから。
母から「おじいちゃん入院するんだよ」と聞いても、わたしは「ふーん」って思っただけ。
漠然と、うっすらと、大丈夫かな、って思ったくらいで、明確な寂しさとかはなかったように思う。
両親やおばあちゃんがお見舞いに行くときも、わたしはほとんど同行しなかった。
病院が少し遠かったので、なんなら家族がお見舞いに行っているときは、友達を家に呼んで好き勝手遊べたのがうれしかった。
「今日お見舞いの日だからうち来ていいよ」っていうのが誘い文句だった。

家族が「おじいちゃんが会いたがってるよ」って言うのを、わたしはやっぱり「ふーん」って流した。
わたしはおじいちゃんに会いたくなかった。
会っても話すことはとくにないと思っていたし、話したら話したで、あの不機嫌そうな顔で、お小言を言われるのが想像できた。

初めてお見舞いに行ったのは、おじいちゃんが入院してから本当にしばらく経ってから。
数か月後くらいだった気がする。
何度も何度も「いっしょに来なさい」って言われたらさすがに行かざるを得なくて、いやだなあ、遊んでいたいなあって思いながら、お見舞いに足を運んだ記憶。

ベッドに横たわるおじいちゃんは見る影もなく痩せていて、見た目はもちろん、声も全然ちがっていた。
わたしの顔を見るなり、「おお、おお」ってしわしわの手を伸ばしてきて、わたしはそれがとても怖かった。
怖いっていうのは、ホラー的な怖さじゃなくて、なんというか、知らない人を見たときみたいな怖さ。
会いに来られなくてごめんね、とか、そういうドラマとか小説みたいなわかりやすい悲しさや申し訳なさはなかった。
とても言葉にしにくい、とてもふんわりとした、後悔みたいな。
わたしは何で、この人ともっと仲良くなっておかなかったんだろう。

死は明確な悲しみだ。
家族じゃない誰かや、動物が亡くなっても、大小の差はあれど、悲しみはある。
そういうわかりやすいものじゃなくて、
他人から見ても、自分から見ても、本当に小さくてしょうもないことなんだけれど、それがふたつ、みっつ、よっつと、重なって重なっていって、結局悲しくて泣きたくなることがある。

駅から家までの、ひとりきりの夜道。
病院の待合室。
どうやっても上手くまとまらないときの前髪。
誰かの陰口。
既読の数が減っていくグループLINE。
「ごめん」って言われたとき。
晴れた日の片頭痛。
大好きなドラマの最終回。
当たり前のことなのにどうしても飲み込めなくて、でも飲み込めない自分はダサいと思っているので、何でもないですよって顔して笑っているときのわたし。
嫌味を言われたのがわかっても、なあなあで流すしかできないわたし。
わたし以外の誰か。

わかりやすくない、どんなにがんばってもわたしの力ではどうしようもない、力でどうこうしても仕方ない、ただ耐えるしかないような些細な悲しみが、この世には多すぎる。

………………と、ここまで打ったところで、友達と新しい約束をした。
ちょっと遠いけど良さげなカフェがありそうだからいっしょに行ってみない、って話した。
やったー!⸜( ◜࿁◝ ⸝︎︎
わたしは新しい約束がすきだ。
未来への希望が持てるので。
約束はあればあるだけいい。
毎日生きていなくちゃいけない理由は、いくらあってもいい。

なんかこうやってわたし、気分が浮いたり沈んだり、そういうのをくり返しながら生きていくんだろうなあ。

でもできればもう沈みたくないから、悲しいことが少しでも減りますように。
楽しいことだけ数えて、生きていくことができますように。

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