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結婚したら死にたくなった話

結婚してから死ぬことばかり考えている。

23歳の少し汗ばみ五分袖を着る季節、同年代より少し早い結婚をした。18歳で出会い、ドラマの中だけだと思っていた一目惚れをした。心臓が跳ね、血液は逆流し、皮膚にはビリリと電気が流れた。「この人しかいない」。女子校育ちで恋人ができたことがなく、経験がないゆえの勘違いと笑われても構わなかった。だって絶対、運命で、ビビッときたのはホントで、このときの衝撃は私にしか分からないはずだから。

泣いてばかりだった片思いを終え21歳で晴れて恋人同士になり、2年後に結婚をした。素敵な人生だと思う。しかし、「失うこと」の恐怖がじわじわと、幸せを黒く染めていく。
結婚は契約にすぎない。好きな人と一緒にいるだけなら契約なしでもでき、面倒な手続きをすっ飛ばして事実婚という手段もある。少し前のゼクシィのCMで「結婚しなくても幸せになれるこの時代に、私は、あなたと結婚したいのです」というコピーが多くの反響を呼んだ。私も共感したひとりであり、だからこそ、愛してたまらず病める日も健やかなる日もともに生きたいと思った人間と、一生を添い遂げるこの契約を結ぶことは大きな意味を持つ。契約を結ぶことで、離婚をしない限りは隣りにいる将来が社会的に約束される。つまり私は、結婚という「一生を添い遂げる」契約があることで、約束された将来に必ず迎えることになる「死」が怖くてたまらなくなってしまった。

私は彼より先に死にたい。

彼が死ぬことが怖い。彼がある日を境にいなくなり、その後二度と誰も姿を見なくなることが怖い。私は新たな彼の言葉を聞けず、話しかけても私の声だけが響くことが怖い。朝に彼のぶんの紅茶をいれる必要がなくなり、ゴミ箱に入れない丸まったティッシュにイライラしなくてもよく、兄妹のようなプロレスごっこも、音痴同士で歌の練習をすることも、寒い日に繋ぐ手も全部なくなっていく。彼がいた痕跡はやがて消え、私だけが存在する世界。好きの裏側にどす黒くてとても臭い何かがベットリと張り付いている。

私は自己中心的である。先に死にたいなんて超弩級のわがままだ。彼にもつらい思いをさせたくないのなら、代わりに私が生きましょうと思う。彼が私のことを嫌いで「早く死んでほしい」と願っていれば、こんな自己嫌悪にも陥らずに済む。しかし私は、彼への優しさよりも恐怖が勝り、子供のように喚き散らしてしまうのだ。未熟な私はこの恐怖をどうしたら良いかわからないが、いつか手懐けられるだろうか。優しさの部分が大きくなり、恐怖を包み込んでしまってもいい。汚いヘドロの部分を、誰にも知られたくない。

今も彼が先に死んでしまう恐怖について、どうしたらよいか分からない。私は静かに海に沈み、暗い暗い深海で膝を抱えてさらに堕ちていく。
ただ、この先の未来も「彼より先に死にたい」と思い続けられること、そして、そう思いながらも「彼より長生きしたい」と言葉にできるようになること。それが、愛だと感じている。

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