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台湾へ、自殺寸前だった女の一人旅②準備編


行きの空港にて
空港にいること自体が奇跡のよう

こんばんは
序章に引き続き、準備編です。
航空券をポチったときの心臓の揺れ。久しぶりの旅行前の高揚感。
宿泊施設を決める。パッキングで思い出した私は意外と旅行上級者だったという久しぶりのエンパワーメント

旅行が好きなんです。それも一人旅。
我が家は変わった家訓があって、家族旅行でもそれぞれシングル。青春十八きっぷも、5枚つづりを各々一枚づつ配給。そのため、期間中、順々に誰か家からいなくなっていました。みんな一緒に行こうという意識があまりない。

いつか整理できたら書きますが、DVって、力を奪うんですね。支配関係に敷くことで、私はいつも夫の顔色を窺っていました。書くのも嫌だけど。それが癖になっていたため、自分で『決める』ことがいつからか出来なくなっていたのです。驚き!
そのため、今回の旅行は準備の段階から、私の力を取り戻す過程となりました。
航空券を決める、日程を決める、場所と値段を加味して宿を決める、現地での交通経路を決める。
その『決める』の連続がいちいち、私の揺さぶるのです。
些細なことかもしれませんが、数百円、千円の違いでどのホテルにするか、それが私にとっては久しぶりの決断でした。

体調が悪いときは、コーヒーにするか、紅茶にするかも決められませんでした。涙が出てくるんです。分からなくて。紅茶が飲みたいけど、コーヒーにしなくちゃいけない気がして、身体の中が分離してもう体が泣くんです。私の体にずいぶんとかわいそうなことをしていたんだな、と今になって振り返ると思います。

そんなこんなで、勢いとなぜか春節の真ん中、安いチケットを発見したのと台湾の友人と現地で遊ぶのが夢だったので友人が誘ってくれた日付に無理くり合わせてチケットと宿を決めました。

パッキング。は。今回はリュックで回りました。台湾の地方は道が悪いのです。お土産を買うつもりはなかったので、最低限の服ともので臨みました。
そこからして、要らないものを省いていくわずかな心地よさ。

体調は前日まで悪く、特に年明けから午前が行動できず、朝はベッドの中で重たい岩に潰されたような感覚でした。これでどうやって飛行場まで行けるのかと心配でしたが、スイッチが入ったのかなにかおりたのか、寝るのを止めるという作戦が効いたのか、

当日はバチっと目が覚め、まだ日もでない早朝5時、ひとり静かに服を着替え、リュックを背負い、淡々と駅へ向かい、空港行きのバスに乗れたのでした。

往路の羽田空港は早朝にも関わらず人が多く出国ゲートも行列ができていました。
今書いていても、なぜ、あの体調から朝動き、搭乗できたか不思議な気持ちになります。
唐突に、ヨガの友人の話になります。厳密に言うとヨガ哲学をインドで勉強した友人の談です。その友人もまた人生で困難な時にあります。
「運ばれているのを感じる」困難な場所にも喜びの場所にも運ばれている。
それは私の意思であり、足であり、身体が動いているのだけれど、
あの時、私は運ばれていた、そう思うのです。

飛行機内は揺れもあまりなく、事前に配慮をお願いしていたので、優しいお声がけもいただき、飴ももらいました。その飴はそれからの私の台湾での大いなるサポートなることを誰がその時思ったでしょうか。
今回の旅行は、大きな出来事があったわけでもないのですが、とても不思議な旅でした。通時、旅というと人との出会いや感動的な風景があるのですが、今回の旅は、「必要なものが必要な時に与えられる」旅でした。これが力を抜くということか、とふわっと実感したものです。

時間通りに到着した台北の空港は匂いも空気も全く変わっておらず、
これまでの体調を鑑みるに、到着したこと自体が私には奇跡も思え、そして、よくここまで生きてきたね、ありがとう、と自然と私の体に感謝と祝福の声が出ました。何度も死のうと思った経験と体なのに、神様(特定はありません)、家族、友人、そしてなにより私がここまで連れてきてくれたと思ったのです。

台北は、私にとって必死で暮らした町です。
歩く旅に、その記憶がよみがえります。
次回は台北での3日間を書きます。

読んでくださってありがとうございます。
良いことがありますように。


機内食、さすが日系
行きのラウンジにて慣れてない感爆発
朝からお握り、味噌スープ、アイスを食す+機内食
ひきこもりで朝も食べない生活が嘘のよう


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