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無職になった、んだよね。

5月15日付けで退職。

わかってはいたことだけれど、これから自分はどうするのか。

コロ助の影響で予定転職先の状況はHPからはわからない。
今後についての問い合わせ・・・は、御社が(私も)不安ですと言っているみたいでしたくない。実際、そこが倒産してしまうくらいだと他の同業他社はもっとヤバイ状況。ただ、採用は控えてしまうかもしれないと思う。
縁とタイミングがあってエントリーして一時面接まで済ませて、その先が現時点ではわからない。待つしかないし、結果も受け入れるしかない。

不安。

その正体はおそらくお金もある。収入がなくなることへの。
先日、バズっていた会社を清算した人のnoteを読んだ。
いざとなったら、すき家でも何でも形振り構わずバイトして家族を養うと。
多分、そういう人は次にやりたいことをしっかり見つけていくと思う。
心構え・覚悟、と言うだけで実際にはそういうことにはならない、と。

自分は正直、無理。
働いている人に笑顔がない職場は。
バイト募集のポスター嘘っぱちやん。
お客としても数年前から行くのをやめていたし、そういうお店。

だから、外回り先で魅力を感じた職場を選んだ。
どこでもいいって訳じゃない。
逃げた部分はあるけれど、それだったら辞めていない。
否、それはウソ。遅かれ早かれ、そうなっていた。それが今というだけ。

お金について私は家計を把握していない。
元銀行員だった妻に全て渡して任せている。一蓮托生。
一応、退職前にお陰様でいただけた案件の営業報奨金があり、会社の共済会からの返金とか、それとは別に退職金も出るらしい。
妻曰く、失業保険まで含めれば11月まではなんとかなる、と。
コロ助の給付金は普通に受け入れる。当然我が家の財務省に。

私の所持金は2年前から始めた1日2食よりランチ代500円を貯め込んだ数万円。それも告知しているのでヘソクリではなく、今使うべき時に出す事にしている。家族が笑顔になるために使いたい。noteでいいな~と思った人にも使いたい。多分、そっちは物凄く渋い使い方になる。人の応援している場合じゃないだろって。

と、そこまでは決めているのだけれど、お金の事ばかり考えると私の発想は本当に貧相になる。特にnoteの記事として書くことに関しては。
お金を稼ごうとして何かをする、というのは本当に向いていないらしく何にも頭に浮かんでこなくなる。

ネタ切れって言葉も浮かぶけど、多分違う。
自分の中に引き出しはあるのだけれど、その引き出しの場所を忘れてしまうだけ。お金の心配は置いておき、自分の好きなことを書けばいい。今、やりたいことをやればいい。

数日前に川村元気さん原作の映画『億男』を観る(原作も読んでいる)。
お金の正体について。
ちょっと前にもTwitterで『99%の人が気づいていないお金の正体』
堀江貴文さん著書にて、感想が『人との繋がり、信用が何よりも大切』と。それでも持っている人の意見だと思ってしまう。
否、信用があったからこそ会社の看板があるとはいえ、日本一営業をしていないと自負していた私にも不思議と仕事が回ってきていたのか・・・。

逆説を言えば、お金に困るということは信用が無いということなる。
今はまだ困っていないけれど、人との繋がりが無くなればいずれそうなる。
外出自粛ってヤバくね? (急に口調変わる)

どちらにしても自分探しとか、ありきたりな言葉じゃなくて内なる自分を見つめなおす時間がもう少し必要になりそう。その為の時間かもしれない。
本当に必要なもの。不要なもの。わかってはいるつもり。

文章を読み返して、一人称が私と自分と2通りになっている。
そういう時は自分が不安定なのが良く分かる。

空を見上げれば世界はそんなに変わらない。
自分の気持ちが起きた事をどう捉えるか。
それ次第で幸せにも不幸にもなる。

今日もスキをしてくれる人に、心からありがとうって言わせてください。




って、なんだ? この下書き。湿っぽくない?
まあ、それも自分だから仕方ないのだけれど・・・
いいじゃんもう、『第三部 完ッ!!』 で、おしまいっ!!