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読書日記101 【とにかく散歩をいたしましょう】

 小川洋子さんのエッセイ。普段の何気ない日常が書かれている。小川洋子さんというと「博士の愛した数式」を書いた人としても知られている。数学者やチェスなど頭を使う職業がテーマになっている作品が多かったり、ちょっと敷居の高い人という感じがしていたんだけど、エッセイを読んでいてもウンチク感はすごい。ただ、それが何故か居心地のいい空間のようにおもえてくる。

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 「イーヨーのつぼの中」というエッセイの中で書かれているのは、著者が締め切りを守れないんじゃなか?と考えることがあるときに、励ましてくれるのが「クマのプーさん」に出てくるロバのイーヨーらしい。陰気キャラで何時もクヨクヨと悩みごとを抱えている。その底穴に沈んでくれる「友」とも呼べるキャラクターが沈んだ心を助けてくれるらしい。

 キーボードに指をのせたまま、私はじっと考えている。何をどう考えたらいいのか分からなくなってもまだ、考えている。
「なにがゆえに?」
とつぶやくイーヨーの声が聞こえてくる。
「いかなればこそ?」
 石井桃子さん訳のちょっと古風で端正な言葉遣いが、一段と味わい深く心に染みてくる。

 イーヨーの気配を感じながら、とことん沈んでみようと思う著者。その沼のそこから微かに見える文字を書き留めていく。イーヨーがコブタがイーヨーに渡そうと思った誕生日プレゼントの風船を転んで割ってしまうと、イーヨーはコブタの身を案じてからその割れた風船を、プーさんからもらったツボの中に大事なものをしまうように、自分の沈みゆく気持ちをイーヨーが大事にツボの中にしまってくれているように感じる。

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 「散歩ばかりしている」では、夏目漱石の「こころ」を著者の若い友達が「ああ、あの散歩ばかりをしている小説ね」と一言で言い切る。確かによく散歩している。この散歩文学としてあげられるのが、梶井基次郎の「檸檬」・ヘッセの「車輪の下」ツルゲーネフの「初恋」などがあげられ、「ノルウェイの森」もあげられている。確かに直子との散歩はデートの大半というぐらいの散歩の道程はある。

 そして、その「散歩文学」には威勢のいい作品というのはなく、どちらかといえば繊細な感じはする。本屋に檸檬を置いていったり、友人の批判主義や大人の期待に潰される青年や初恋の人を父が奪うという悲劇の青年やそこら辺の書かれた文章と深く考えさせられる文学が多い。著者は犬の散歩を日課としている。

 電信柱の根元に、側溝の蓋に、ゴミ袋の山に、犬はぐいぐいと鼻を押し付ける。眉間にしわを寄せよだれをたらし、宙の一点を見つめている。その表情は、「檸檬」の青年や「車輪の下」のハンスと同じく、生きることの複雑さを嘆いているように見えなくもない。

 嘆きを求めるかのように著者の犬の散歩は続いていく。こんなシュールでちょっと知的な感じのするエッセイが書かれている。

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 この頃、長編の小説を読んだのと、Netflixで韓流ドラマを観てしまったおかげで頭がパンク状態になってしまった。村上龍さんの「半島を出よ」と和田竜さんの「村上海賊の娘」ピエール・ルメトールの「その女アレックス」橘玲さんの「マネーロンダリング」有川浩さんの「空の中」伊坂幸太郎さんの「火星に住むつもりかい?」とちょっと長編を読みすぎてしまった。

 韓流ドラマは「ロマンスは別冊付録」と「この恋初めてだから~Because This is My First Life」で韓流は長いので休みにぶっ続けで観た。

 ドラマは女性のヒエラルキーというか、普通の女性が社会から放り出されてからの逆襲というかを、描かせると韓流がうまく表現されていて凄く痛快で面白い。男性の作品というかだと「半沢直樹」のように会社で弱い立場の人がという話になるけど、高学歴の女性が結婚や仕事上で無職になってから、社会的に復活するさまとかはナチュラルでとても面白く感じる。

 ただ、ドラマが長く20時間ぐらいあるので、ちょっと、気合を入れないと観れない。本は取りこぼしというか、読んでなかったというので古本で揃ったのを読みたくなる。ただ、読書日記に書くには長すぎで書けない。特に村上龍さんは密度が濃いのと登場人物多すぎる。本て新しいからいいというのではないし、再読すると内容がそもそも、違っていたりする。

 ヘッセの「車輪の下」って高校生の時に読んだら大人の期待の大きさで押しつぶされたハンスというイメージだったけど、28歳ぐらいで読んだら、自由奔放の友人ヘルマンに影響されておかしくなっていく様が強烈に残っていたりする。読んでいるはずなのに結論が全然ちがう小説なんかもあったりする。今読むとどうなのだろう気になる。

また最後がウダウダになってしまった。

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