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読書日記89 【かもめのジョナサン】

 リチャード・バックの作品。五木寛之さん訳の作品を読んだ。(原作ではありません)散文詩な作りで、不思議な話が、幻想を作り出すかのように、拡がっていく。なんといえばいいのだろうか?不思議な作風なのだけど、異端児は優秀であっても、外に出される社会が、このカモメの世界でもあるのか、と思わせる。


 カモメのジョナサン・リヴィングストンは飛ぶ練習をしている。急降下をしてみたり、低空飛行などをしたり、他のカモメがしないことを、一生懸命にやっている。両親はそれが心配になる。父親は飛行術をやるなら、エサ取りをしろと諭す。

 しかし、ジョナサンはやめない。もっと早いスピードで、もっと旋回を早くと、空中でバランスがくずれて海に落下するのもよくある。その度に飛ぶ筋肉がついてくる。もっと早く、もっと急カーブでと、ジョナサンは更に、速く、高く、強く飛ぶことを続ける。そうしていく内に、飛ぶ能力は他の鳥さえも超えていく。

 カモメを超え始めた時、カモメの長老にジョナサンは呼ばれる。その頃、ジョナサンは「限界速度」を超え、時速342キロのスピードで空を飛んでいた。ジョナサンはカモメという種族の明るい未来を感じ始める。しかし、長老から言われた言葉は違うものだった。

「汝はカモメ一族の尊厳と伝統を汚した」
 

 ジョナサンはカモメ一族から追放されてしまった。ジョナサンは流刑の場所である「遥かなる崖」で、群れから離れての生活が始めっていた。漁船近くで人のとる魚の死骸や腐りかけのパンくずを取ることなく、遠くの内陸まで飛んで、美味しい昆虫を食べたりすることもできるようになっていた。

 すると、ジョナサンのもとに2羽のカモメがやってきた。新しい場所へと案内するという。ジョナサンは雲の上の世界へと導かれていく。そしてそこで飛ぶ究極の肉体を授かる。その世界でも飛ぶ探求をやめない。ジョナサンはそこから、自分の元居た世界のことを思う。そして、ジョナサンは…

 すごく、短い内容と、そして飛ぶだけの表現が多い。カモメが飛ぶ能力を向上させたらどうなるのか?といった、もしも話でもない。例えが難しい作品でもある。70年代のアメリカで、不景気とベトナム戦争の終焉など、元気のない時代に爆発的に、売れた作品らしい。

 散文詩というか、詩的な文脈で、どう解釈すればいいかは、読み手まかせみたいなところがある。アメリカが復活するのは、それから20年後で、それまでは、日本は好景気になっていくのだから、時代背景としては、精神を支えた文章というものになるのかもしれないけど、すごく難しい。「イリュージョン」という作品の方が僕としては解りやすかった。

 スピードを極めて、カモメの神に近くなっていくジョナサン。そして、地上に戻ってくる。そして、若いカモメのフレッチャーに飛ぶことを教え始める。意識の中にある部分は、「マインド・フルネス」に近い発想かもしれない。カモメの「内なる力」のような部分を語る世界がある。

 70年代後半から80年代に、カンフーを習うジャッキーチェンとか、ベスト・キッド、(ネットフリックスで続編やってますね)・ドラゴンボールとか、強くなって世界感を変える作品が増えていく。それに近い作品なんだけど、ジョナサンは多く求めないし、群れを変える力はない。実社会では追放されたままだ。そこから、何を学ぶのか?というのは難しいし、その答えもすごく難しい。

 数羽の地上にいる若いカモメたちに、影響を与えているだけで話は終わっていく。そこに黄昏を感じる。今なら、農作業をやらなくても生活はできる。魚を取らなくても、そして、物を作らなくなっても、生きていける。今は時価総額という不思議なお金の流れがある。株などの会社の発行するものの価値が利益の大半という不思議な世界に僕らはいる。労働でさへも、対価にならない世界が拡がっている。

 投資やクラウドファンディングなど、お金を必要とする世界は変わり始めている。機械科が進んで大量生産が可能になって、そこに充てられていた労働力は必要なくなっていく。「お前は速く飛べないカモメでいいのか?」と、まるで、そういう社会を示唆するように、ジョナサンの物語が終わっていく。そう考えると今の物語にもなっていく。

 深い作品なのだけど、童話のように簡単に読める作品。

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