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天才と秀才と凡人

あなたは天才・秀才・凡人どれに当てはまると思うだろうか。

上記の記事のを読んで、私はつくづく「凡人」だなぁと思った。
10代の頃は「秀才」と思っていた時期もあったが、それを過ぎた今は凡人であることに納得している。天才だと思ったことは一度もない。

世の中は少数の天才と一部の秀才と多数の凡人で成り立っている。
最近の私の周りを見渡してみると「天才」や「秀才」と接することが多い。
仕事場で言えば、医師の多くは「秀才」で時々「天才」がいる。
今入っている「落合塾」の人は「天才」に共感する人も少なくなく、「秀才」も多いと思う。落合陽一さん自身が「天才」であり、そこに共感したり、そうなりたいと思う人が集まってくるのだから自然とそうなるんだろう。「天才」と接していると、特に若い「天才」はわかりやすく、悩み、孤独を感じやすいだろうなと思う。

しかし、私は「凡人」だ。
どうして、私は「凡人」だけど、天才や秀才の人と接することに居心地の良さを感じるのだろうと考えてみた。
結果、私がなれるとしたら「共感の神」かなぁと思った。太宰治の心中に巻き込まれた女だ。(記事参照)
そして、今の自分の人間関係のポジションに納得がいった。

私のストレングスファインダーの3番目の資質は「共感性」であった。
共感性という資質を持つ人は、自分を他人の状況に置き換えて考えることにより、他人の感情を察することができる。

「共感の神」は人間関係の機敏な動きに気がつくらしい。私は長い間、周りの空気や人の気持ちが読め、敏感すぎることが辛かった。そして、そこで感じすぎることが多かったので自分が弱くて忍耐力がない人間だと思っていた。でも、最近はやっと自分の役割と対処法がわかってきたので、色々な人がいる職場でも自分を生かすことができるようになってきた。弱いのではなく、自分の使い方がわからなかっただけなんだと思うことができるようになってきた。

最近はどのコミュニティにいても、今の私は繋ぐ役割で生きていると思うことが多い。多くの女性は私に親近感を持ち、共感してくれるし、気持ちも理解できる。その女性達に私は支えられている笑。そして、一部の天才や秀才とも話しあえることができるし、ある程度理解することができる。(しかし、全てではないと思うが)そして、その橋渡しになっていることが多い。
仕事場でいえば、医師と看護師間。さらにいえば医療事務の子達との関係。

「共感の神」と自分のことを言ってしまったが、私はまだ「神」レベルには到底及んでいないので、自分の役割が少しずつ見えてきた以上、少しでも「神」レベルに近づくように邁進していこうと思う次第である。

#天才 #秀才 #凡人 #共感の神 #北野唯我


最後まで読んでいただいてありがとうございます。いつでもまた立ち寄ってくださいね。