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それから。


「生きている意味が分からない」
美術部の佐伯夏菜子は醒めた目で言った。

「楽しいことなんて何一つない。絵だって描けない。この先もきっと何もない」

「こんなことならいっそー」


「いっそのこと死んでみるか?」
夏菜子の担任教師である、都倉孝洋は無表情のまま言った。

「良い死に方を教えてやろうか」


2人しかいない放課後の教室。
時計の針の動く音が、かえって静寂を強調する。

夏菜子は目を伏せた。

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高校から車を走らせて40分。
おもむろに車を停めた先には、鬱蒼と生い茂った木々が行く手を阻むように聳え立っている。

森をかき分け進んでいくと、小さな洋館が現れた。
古くなった扉をこじ開けると、埃っぽい匂いが鼻腔を刺激した。


夏菜子が顔を引きつらせながら尋ねた。
「どうやって死ぬの?」

都倉は、横に伸びた洋館の柱と、柱の近くに落ちているロープを指差した。

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夏菜子は椅子の上に立ち上がり、柱に括りつけたロープの反対側の端を輪の形に結ぶ。椅子がキイキイと軋んだ音を立てる。

夏菜子はゆっくりと輪の中に首を通した。
額に汗が滲んでいる。


都倉は夏菜子が立っている椅子の横に立った。

しばらくの沈黙の後、椅子を蹴り飛ばそうと足を上げたその瞬間、夏菜子が叫んだ。
「うわあぁぁああぁあああああ!!!!!」

叫んだ拍子に夏菜子は椅子から転げ落ち、コンクリートの床に身体を激しく打ち付けた。

「生きることに、意味なんて必要ねえんだよ」
都倉が呟いた。

柱に結ばれたロープが不気味に揺れていた。

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夏菜子は身体を震わせていた。
都倉は夏菜子を見下ろして言った。

「一寸の苦しさにかまけて、”生きる意味”に自分の命任せてんじゃねえよ」

「生きる意味なんて、死ぬ気で生き続けた人にしか分からねえんだよ」


苦痛に歪む夏菜子の目から涙が零れた。


「悔しかったら、生きる意味が見つかるまで生きてみろよ」

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あの一件以来、夏菜子は学校に来なくなった。
担任である手前、都倉は夏菜子の家に何度か訪れた。夏菜子が顔を出すことはなかったが、夏菜子の母親と何度か話す機会があった。

「中学を卒業するまでは明るい子だったんですが、高校に進学してからとたんに塞ぎ込むようになってしまって、、絵が描けなくなってしまったのもそのあたりからで、、」

「描けなくなった?」

「元々は全国コンクールで入賞するくらいの腕前だったんですが、ある時を境に ”何も描けない” と言って描かなくなったんです。塞ぎ込むようになったのはそれが原因なのかもしれません。娘にとっては大切な自己表現の手段でしたから。」


ひとしきり母親と話した後、都倉は家を出た。
ふいに家の二階に視線をやると、カーテンの隙間から夏菜子の姿が見えた。

キャンバスに向かっていた。

彼女の後ろ姿は、自分の内面をえぐる苦しみと闘っていた。

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それから4ヶ月後、夏菜子が大きな荷物を持って学校へやってきた。

「先生、これ見てください」

夏菜子は荷物を包んでいた風呂敷をひろげた。


黒を基調とした大きな油絵。

思春期の鬱屈した思い、未来への不安と苦悩が、暗く苦い黒に溶け込んでいた。


「描きたいものが描けたのか?」

答えを聞くまでもなかった。
自分を見つめ続け、それを表現した彼女の横顔は美しかった。
苦しみ抜いた彼女は、今を誰よりも ”生きていた” 。


「先生、わたし留学します。絵の勉強に行きます」

彼女は静かに微笑んだ。


都倉が夏菜子の個展に訪れたのは、それから10年経った頃だった。

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