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自意識のせいで美容師の指名ができなかったあの頃

ふいに知人と髪型の話になり思い出した。
「美容院の予約時に美容師さんを指名するのが恥ずかしい」と思っていた時期が僕にはあった。あるときを境に、今ではドラフト会議の如くガンガン指名するのだが。

「指名する」ということは「あなたのことが気に入っていますと宣言する」ことと同義だ。指名する理由が髪を切る技術だろうが何だろうが、自分の好意を相手に打ち明けるということに他ならない。当時の僕はハズレの美容師さんに当たらないために指名をしたかったが、自意識の濁流に呑み込まれた童貞には相当にハードルが高い行いであった。

当時の僕は「最悪美容師さんに指名拒否されるのではないか」とか考えていた。落ち着け、向こうは仕事でお前は客だ。

しかし当時の僕にこの声は届かない。人はこういうときにタイムマシンを求めるのだろう。


電話予約で美容師さんを指名する場面を想像する。被害妄想豊かな当時の僕には、予約した後の店内で繰り広げられるであろう美容院を挙げての罵詈雑言(幻聴)が聞こえていた。

「田舎のイモ野郎のくせに指名かましやがってキモいな」
「田舎のタコ野郎のくせに髪型にこだわり持ちやがってキモいな」
「田舎のゴミ野郎のくせに一丁前に電話回線利用しやがってキモイな。速やかにNTTを解約してお前は糸電話にしやがれ」


まさか悪口が電話回線にまで及ぶとは思わなかった。
脳内では架空陰口の魑魅魍魎が百鬼夜行であった。

やはり僕はどうしても指名する勇気を持てなかった。


美容院に行く直前はハズレの美容師さんに当たったらどうしようといつもビクビクしていた。ここでいうアタリハズレは、カットの技術というよりコミュニケーションの相性だ。

一度だけ、やたら声のデカい美容師さんに当たったことがある。そもそも僕は声がデカくて元気の良さを前面に出す人が苦手だ。相手と自分の生命エネルギーのギャップにあてられてしまう。相手は元気出してなんぼであり、僕は省エネで生きてなんぼである。相手が元気であればあるほど僕は心を閉ざす。
(店内に置かれている死ぬほど興味がないオシャレ日用雑貨が特集された雑誌を読むフリをして、会話をシャットアウトすればよかったと今なら思う。が、当時の僕には考え至らなかった)

彼はとてもお元気な美容師さんだった。声がデカくてしんどい。話しかけてくるたびに彼の声が店中に響き渡る。やめてくれ。周りの視線を集めたくないんだ。会話の内容が筒抜けだ。僕の休日の過ごし方なんて興味ないだろうが。そんなもんはAスタジオの鶴瓶に任せとけ。


イヤな思いをしたにも関わらずそれ以降も指名ができなかった僕は、またお元気な彼に当たらないかヒヤヒヤしながら数度美容室に通った(幸い彼には当たらなかった)

しかしある時、このヒヤヒヤは割に合っていないと気づいた。
美容師さんを指名しないことによる一時の恥ずかしさからの回避と、超人的な腹式呼吸と声量で話しかけてくる彼に当たるかもしれないという精神負荷を天秤にかければ、一時の指名する恥ずかしさを受け入れ、散髪当日に安心して美容院の扉を開けることができた方が人生の幸福度は高いのではないか、と。


僕は意を決して美容院に電話をかけ、これまで当たった美容師さんの中で一番コミュニケーションの相性が良さそうな方を指名した。

精神の安寧を求める気持ちが、自意識による不自由に打ち勝った瞬間だった。これを通過儀礼とし、僕は齢25にして、ついに大人の階段の第一歩を踏み出したのである。


それから3年後、今ではもうガンガンに、それはもうガンガンに美容師さんを指名し、当日は小気味良いテンポで爆笑トークをぶん回し、1時間弱でスマートに店を出るのである。

ここまで至る道のりには、
「どう店員さんにオーダーすれば思い通りの髪型になるのか」

「モデルさんの写真を見せれば髪型のイメージが上手く伝わるのではないか」

「でも僕みたいなのがモデルさんのような髪型にしてくださいなんてそんなこと言えるわけないやん」
という様々な壁が目の前にいくつも立ちはだかるわけだが、これについてはまた別の機会にお話したい。












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