何もしない時間を受け入れる

ちょっとした偶然から一か月くらい仕事のお休みをもらいました。単純にうれしいというよりは少しもやもやのあるいきさつがありました。仕事以外にも副業はしているので、その副業の活動をしたりもしながら、どこかで、自分を生産性の面からジャッジしている自分がいたのです。それはそんなに心地よい感覚ではなくて、自分がセンターにいない感じでした。でもなぜか、ここにきて、ぼうーとしながら、昔、習い事の先生が、「僕はぼうっとするのも大好きで」と嬉しそうに語っていて、それを聞いてとても感じがよく私もうれしく思ったことを思い出したりしてました。そうして、お友達と会って時間を過ごしたり、実家に行って何もしない時間を父と過ごしたりしました。自分一人でなにもしない時間を過ごすのと違って、周りの人と何もしない時間を一緒に過ごすことがリラックスできてとても有意義な時間となったのです。考えてみれば、何もしない時間を一緒に過ごせる人というのは心から安心できて、自分をよく見せる必要もなく、ありがたい存在なのでした。そして何もしない時間を過ごす自分を受け入れていたら、すうっともやもやが取れて、過去の傷が癒えていったのがわかりました。40代後半になって、仲良くしている人の数はそんなに多くないけれど、仲良しといる時、なんともおだやかなまったりとした時間を味わうようになりました。ひたすら安心感を感じる世界です。そのことに静かな感動を感じています。

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