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finite game and infinite game

前回、人生やゲームに関連するちょっとした投稿をしたので、今回はいわばその続きです。

タイトルにある言葉は finite:「有限の」 ⇔ infinite:「無限の」という反対の意味です。

ある哲学者の主張するところでは、私たちが人生で行うほとんどのことは「有限ゲーム」と「無限ゲーム」というふたつに分類できて、誰もがその両方プレイしているとされています。もちろん、どちらの方がいいとかいう次元の問題ではありません。

ここでいうゲームというのは単純に、わたしたちが実際にとる行動を表現するものです。

有限ゲーム」については、例えば「野球」をイメージすると理解しやすいと思います。
有限ゲーム」とは勝敗を決するために特定のプレイヤーが、特定のルールに従ってプレイするゲームのことです

まさに「勝つ」という重要な目的が共通認識として明確で、ルール勝敗の存在が不可欠なゲームと言えます。

野球の場合、同点で延長する場合もありますが、基本的には9回裏でゲームセットとなり、善し悪しは結果で決まります。

人生が「有限ゲーム」だとすると、ある時点で常に「勝者」と「敗者」あるいは「勝ち組」と「負け組」に分かれるような結果が最重要もしくはすべてになります。

次に「無限ゲーム」については、例えば「恋愛」をイメージすると理解しやすいと思います。
無限ゲーム」とは永遠にプレイし続けるためにプレイヤー入れ替わりルール常に変更ながらプレイするゲームのことです。

まさに誰もが「ゲームを続ける」という目的のためにプレイしていて、その時々で、プレイヤーやルールが変わっていくことが当然となっています。

人生が「無限ゲーム」だとすると、「人生は結果ではなくプロセスが重要で、そこには勝者敗者もいない」という認識になります。

例えば、ひとつの恋愛が失恋破局に終わってしまうと、そこでゲームセットになるので「有限ゲーム」だと考える人がいるかもしれませんが、そうではありません。

恋愛は勝敗が目的ではありませんし、基本的に恋愛関係は常に続けて行こうというプロセスです。
もし交際相手が恋愛対象にならなくても、友人関係がずっと続く場合もあるでしょう。
また、交際相手が変わったとしても恋愛自体は別のかたちや新たなルールで始まり続けていくものです。

たとえ人生のある時期において、失敗や苦難があってもくじけることなく、それを糧にして成長し続けるプロセスを重視することです。

個人的には、両ゲームを下記のような対比で端的に解釈しています。

■「有限ゲーム」は特定の人との対立・競争・優劣・結果・ゼロサム・他人がライバルの世界
■「無限ゲーム」は不特定の人との共生・調和・成長・過程・プラスサム・理想の自分がライバルの世界

人生においては、どちらのゲームも必要ですが、時期や場面によってくれぐれも展開を間違わないようにすることが重要です。

今の時点で、あなたはどちらのゲームに重点をおいて行動していますか?














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