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今まで46年気付かないほど必死に生きてきた僕が、今ある事に気づいた…

人生は楽があるのは苦があるから。仰る通りですそれは何に置き換えたのかと言うと山と谷です。それを人生に置き換えてみたらしっくりいったんでしょう。口で言うのは簡単です。だけど、これは意外といつまで続くか分からないからトータルで山と谷になるんだろうけど、谷が長く続いてもフッと少しでも上がればそれは山なんです。そのあとにまた下れば谷が待ってる、それがまたいつまで続くかはわからない。人生はそんなもんです。でもトータルでみて

楽しかったらOKにしてあげないと。と最近思うようになってきました。自分に厳しい所もあるんでしょうけど、とにかく楽しく生きていかないと。じゃあ、楽しく生きるとはどう言う事なのか?自分なりに答えを出していこうかなと思うようになりました、すると46年もの間、その事が当たり前すぎてなんの違和感が無かったある自分の行動に不思議と嫌悪感が湧いて来て、終いにはそんな事もう、やらなくて良いよ。河本準一よお前わかってないよ。それは、自分のためじゃないじゃない。いつまで生きれるか分からないのに、お前何やってんだよ。と

え?どう言う事?と思う方もいるかも知れません、なので回りくどくなく直球で素直に自分に向かって言いますが、今の今まで自分のために生きてきた事なんか1度も無い事に気づいたんです、今の今まで。いつも、本当にいつも大人の顔色見て、先輩、後輩が気持ちよくなるにはどうしたら良いのか?知らない他人にでも気持ちよくなってもらえるにはどうしたら良いのか?身内が喜ぶには何をしたら良いのか?何をすれば喜んでくれるのか?僕以外の人が。毎日毎日、喧嘩も無くみんなが笑顔で明るく楽しく元気で生きて行くにはどうしたら良いのか?そんな事ばかり小さい頃から考えてた、それが自分の使命だと本気で思っていた、確かに数年に一度、何故そんなに人のために親身になれるのか?本気で言い合った事もあったっけ?同級生や同期は何人か異常だと気づいた人もいたのだと思う。一緒に住んでた同期の子は先輩に覚えて貰おうと無我夢中で必死になってもがいて色んなことやらされて泣きながら帰ってくる僕を見て、なんでそこまでやる必要があるのか?泣くほど辛いのに何がしたいんだ!と怒ってくれた事があった。でも、泣くのは僕だけで良いと本気で思っていた。無論その方達は僕が泣いてることなんか知るよしも無いし、その場はお腹を押さえるぐらい笑いが起きている。僕が働いていたパブではそれが正解だと思っていた、だから先輩が連れてきたお客様に何を言われようが何をされようが、僕だけ我慢すれば良い。と思っていたんです。

それが、ずーっと続いていた今の今まで。1度も自分のために生きた事が無い、どうしたら自分のために生きていけるのか?不安な部分もあるけど、気づいた僕は少しずつではあるが自分のために生きていこうと考えられるようになってきた。人がどう思うとか、どうやればこの人達が喜んでくれるのか?それよりも自分がどうやって楽しんで生きていくか。この事を書けたのも少し気持ちが良くなった。

自分のために書いたから

河本準一

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