見出し画像

#5 価値観とは

価値観とは人それぞれの考えだと私は思います。
それを押し付け合うからこそ、いじめや喧嘩、仲間外れなどさまざまなことが起きると思います。

つまり、一概に価値観の押し付けがいいとは限らないということです。
学校で教えられることは一般教養、縦社会の厳しさのみでいいと思います。

大学生になって「価値観」というものに敏感になったと思います。

それはなぜなのかを考えたときに様々な人との出会いが大きく、自分自身がさまざまな経験をしたからです。
それについて今回は書いていこうと思います。

それは小学校から始まります。
自分には6個離れた兄がいます。
幼い頃から兄と一緒にいることが多くありました。
一緒にいるからこそ、自然と兄がしていることを真似て生活していました。
そうするとどうなるのか。
それは同い年の友達と遊んでいる時に何か物足りない、「これをこうしたら…」と思うことが増えました。
それは環境の問題なのかも知れません。
そこから中学に上がるとどうしても、みんなが面白いと笑うことにいつのまにか愛想笑いで対応していることが多くあったのです。
病院に行き、遅刻して行ったある日のことです。
教室に入ると友達からの一言目は「あ、来たんや」でした。
それは私が遅刻していることに気づいた友達が「今日あいつ来んのんや、ラッキー」と言っていたからこその言葉でした。
それを何も言わずに聞いていたクラスメイト。
確かにそこで何かを言うにはそれなりの勇気が必要だと思います。
休憩時間になり、普段は一緒にいない子からそのようなことがあったと伝えられました。
その時に、「これが本当に居ていい人なのかな」と思いました。
その後の中学生活はその子といることが自然と増えたと思います。
その後は地元を離れ、高校に入学しました。

高校に入学したのちに、地元で私にそのようなことを言っていた人たちは私の友達だと自慢していたそうです。
今でこそ会った時に何もなかったかのように友達のように話しかけてきます。

何が言いたいのか、伝えたいのかと言うと言われた、行われたいじめの被害者はいつまで経っても忘れられないと言うことになります。
全く関係のないようなことから無意識的に思い出すことやさまざまです。
それがその人自身の人間形成に影響することだってあります。

その子は何気ない一言かも知れないけど言われた本人はすごく重い言葉かも知れません。
だからこそ発言には気をつけましょう。

価値観の話からいじめの体験談になりましたが、今回の話も私自身の感じ方であり一種の価値観の押し付けになるのかも知れません。
価値観は人それぞれ、「十人十色」とあるように人それぞれの思い、色があるのです。
それを自分で大切に持つことができるのか、それに似た色を持っている人に出会えるのか自分次第であり、環境次第でもあります。
だからこそ、進学先、就職先などさまざまなところで押しつけられる価値観に押しつぶされないように自分をもって毎日毎日生活してほしいと思います。

更新が遅れてすみませんでした。

この記事が参加している募集

#振り返りnote

85,308件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?