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【雑感】何度も行きたい書店「モクレン文庫」

 これまで様々な書店に足を運んだ。しかし定期的に行きたくなる書店、行かずにはいられない書店というのはそれほど多くはない。

 そのうちのひとつが、下北沢駅から徒歩五分の場所にある古書店・モクレン文庫だ。現時点では、作家の若松英輔氏が講師を務める講座「読むと書く」の会員のみ入店できることになっている。

 僭越ながら、僕は「いい書店」を判断するための個人的な条件を持っている。以下がその条件だが、モクレン文庫はこれらの全てが満点といっていい。
 その1、いやな匂いがせず清潔なこと。
 その2、文学と哲学と宗教学に関する古典の品揃えが豊富なこと。
 その3、定期的に品揃えが変わること。
 その4、ベストセラーを前面に押し出していないこと。
 その5、商品ではなく言葉を届けようとする姿勢が感じられること。

 モクレン文庫は多くが文学と哲学と宗教学に関する本で揃えられている。書棚を見渡すと、「小林秀雄」「リルケ」「ドストエフスキー」といった文学や、「井筒俊彦」「デカルト」「アラン」「ニーチェ」といった哲学や、「遠藤周作」「井上洋治」「聖フランシスコ」といったキリスト教神学の本が目に入る。
 当然のことながら、若松英輔氏の著作もほぼ全てが揃えられている。

 関心の薄い人からすれば、もっとメジャーな本が揃っている書店を魅力に感じるかもしれない。だが僕からすれば、これは苺タルトやチーズケーキや焼きプリンなどが大量に揃えられたスイーツ・パラダイスさながらの”大好物”の品揃えである。

 この書店が面白いのは、行くたびに何かしらの本に呼びかけられることだ。
「今すぐに読まずともいつか読む日が必ず来る。だから今のうちに買っておけ」という声がどこからか聞こえてきて、一冊か二冊を毎回買ってしまう。

 したがって、ここで購入した本のうち、まだ読んでいないものは複数ある。しか
し読んでいなくとも、いちど自分を呼びかけた本というのは、本棚に居座っていながら不思議な磁気のようなものを微弱ながらも発し続けている。
「おまえが俺の言葉を必要とするまで書棚の一角で待ち続けているからな」とでも言いたげに。

 今日買ったのは、以下の三点。
 ベルジャーエフ『ベルジャーエフ著作集2 ドストエフスキーの世界観』
 埴谷雄高『謎解き「大審問官」』
 森有正『森有正全集10 パスカルの方法』

モクレン文庫で購入した3冊


 若松英輔氏の著作も、もちろん僕は愛読している。
 しかしなぜか、この書店で買いたくなるのは、彼自身の著作よりも、彼が影響を受けた先人たちの著作なのだ。
 ベルジャーエフと森有正の二冊は、おそらく読み始めるまでにしばらく時間を要するだろう。埴谷雄高の一冊に関しては、今日の帰りの電車で早くも読み始めた。面白い。以下の一節に付箋を貼った。
 以下はドストエフスキーの批評を行っているだけに留まらず、小説そのもの、書くという営みそのものの本質を暴いてもいる。

「ドストエフスキーの作品が、他の作家の作品より私たちの心を特別により深く、強くつかんで放さないのは、私たちの(略)精神の秘密といったものが彼の作品のなかに一種底も知れぬ驚くべきほどの深さでのぞかれるからだと思います。」
(P10)

「ドストエフスキーの作品を次々と読むと、読者はやがて、そこにほかでもない自分のことが書かれているのだというふうに思いこむようになってまいります。」
(P10)

「ドストエフスキーは、そのとき、自分の日頃の意見にも反し、或いは自分の本来の信念にすら反して、自分自身の思いもよらぬところのその五重底、六重底の暗い奥底まで辿っていったのでした。(中略)ドストエフスキー自身思いもよらぬ六重底に達したのは、小説という形式なくしては、なし得なかったといわねばなりません。」
(P12)

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