雨音に時間を溶かして。
2日目の夜。流石に危機感を覚えて、外に出ようと思った。
今年のお盆は帰省することもなく、友達と遊ぶ予定もない。時間が瓦解していく感覚がこびりつく2日間だった。雨、風、雨、雷。気分が晴れないのも無理はない。
深い時間に酒を飲んではミッドナイトゴスペルで、簡易的な無量空処を頭に施し、浅い眠りにつく。翌朝昼ごろに起床したら、Googleが繰り出す小波をサーフィンしては、YouTubeのアルゴリズムにより羅列された映像を、何も考えずに見流す。Instagramのストーリーに目を当てると、キャンプや宅飲み、BBQと、今夏の自分には無縁の煌びやかな世界が、数インチの画面いっぱいに広がっていた。
そんな連休を過ごしていた2日目の夜。生野菜1つ入っていない冷蔵庫からは、すっかり料理欲が失せたことが伺える。即席食糧も底をつこうとしていたところ、頭が体に「外出スベシ。」という指令を出したことを、自分はしっかりと観測した。
ホテルの予約サイトをスクロールしていく。気づけば行き先はまたもや京都だった。和歌山や奈良、金沢も検討していたが、大阪から1時間弱という手軽さ、ホテルのコストパフォーマンスの良さから、いつも京都に繰り出してしまう。
夏休み3日目。リュックサック1つで京都に繰り出すのはこれで何回目だろうか。碁盤の目のように美しく整備され、静謐漂う京都の街並みではあるが、自分のグーグルマップ上では、それはもう縦横無尽に実に賑やかな体たらくになってしまっている。
烏丸御池、三条、河原町、四条。以上4つの地点で囲まれた地区一帯にマーキングが集中しているのは、まだまだ京都を深く堀り進めているわけではないことを表している。京の町は行けば行くほど、その整備された碁盤の目とは裏腹に、推し量れぬほどの知性と文化がひしめきあい、もはや誰もこの街の混沌を拭いきることはできないことを思い知る。
午後2時くらいだっただろうか。遅めの出発でかつどこに行くかも決めていなかった。
阪急梅田駅から京都河原町駅行きの電車に乗る。ボックスシートから眺める田園や山々の風景が、なんでもない遠出に少しの旅情を加えてくれる。
河原町駅に到着。なんとなく9番出口から地上に出た。
外は傘をさす人とささない人の割合が、ちょうど半分に分かれるくらいの雨。こういう時、自分は傘をさす。小学生の頃に見た、酸性雨により退廃と化した森林の写真が、今でも頭から離れずに残っている。雨に対してそこまで信頼を置けていないのも、おそらくこの記憶から来ているのだと思う。
到着したはいいものの、特に行く宛もない。こういう時に時間をゆっくり溶かすにちょうど良い場所が、花見小路の先にあった。
建仁寺に行く前には、だいたいライカ京都店2階のギャラリーに寄るのだが、あいにく月曜の定休日であった。
拝観料600円を支払い、俵屋宗達の「風神雷神図」には目もくれず、庭園へ足を運ぶ。
襖、畳、陰影を映す木の床。枯山水庭園に砂利や岩たち。そのすべてが湿度を孕んでいるのに、なぜかこの場所は涼しい。吹き抜ける風は気持ちが良く、人の重さで軋む木の音や雨の音が心地よい。雨の滴る先には岩があり、静かに音を立てては、岩の周りの苔がその音を吸収していた。
(NikonF4,Kodak ColorPlus200)
音と景色と匂いに、ゆっくりと、時間を溶かしていった。
ふと気づくと時刻は16時30分。静寂な時間に、鳴り響いたのは雨音でもなく、風音でもなく、自分の腹の音だった。そういえば、今日は朝から何も食べていない。何を食べようか。せっかく京都に来ているのだから、京都らしい物を食べたい。
気分は濃いめの醤油ラーメンだったことから、答えはすぐに決まった。自分は順路を西へ向けて、新福菜館をめざした。
つづく
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