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お好きにどうぞ。距離感。


ソール・ライターの写真を家に飾ってからだろうか。もともと撮らないポートレートからより距離を置いて、ストリートスナップやスティルライフを撮る機会がさらに増えた気がする。

毎日通る道で見つけた一つの果実のうつろい。台風の風で飛ばされた銀杏の葉。観ているものは静止した砂利道でも、見つめると見えてくる暴風の後。自分が死んだ後の眼差し。見た空の色ではなく、こう記憶したい、こう見せたいというエゴが少し入った空の色。


お盆も後半に差し掛かる日。バンド活動をしている後輩と、今は転職して中学校で先生をしている同期と久しぶりに代々木上原へ飲みに行った。頼みの綱であるLANTANEは生憎予約でいっぱい。No.でジントニックを一杯飲んだ後、前から気になっていたジャンプという居酒屋へ。頭上にある店名は代々木上原の文字が取れて原型をとどめていないのだが、雰囲気ですぐに分かる店で、その佇まいに吸い込まれるように3人は入っていった。

ホッピーともつ煮込み。カニクリームコロッケと唐揚げ。1品1品値段は安いのに、1品1品きちんと味が染みていて美味しい。

近況を話し合うお決まりの展開の後に待っていたのは「距離感」についての話だった。友だち、恋人、家族。間柄がどうであろうとお互い不可侵の領域があり、そこを跨ってこちらに来られたとき、また自分が意図せず跨って侵入してしまったときにどうするか。

家族、バンド、恋人という間柄であれば尚更、「フェードアウト」という選択肢ができないからこそ、「ピリオド」を打つ必要性が出てくる。


その話をしていながら、脳裏によぎったのは、最近自分がまわりの人間に対して、その不可侵の領域に悪意なく踏み込んでしまったこと。そして踏み込まれた側がきちんとその事実を伝えてくれたことだった。

フェードアウトを選ぶのは簡単だ。距離を取れば良いから。何か行動を起こすのではなく、行動しなければ良いから。

伝えるという選択肢をとってくれた友人に救われた。少し時間の経った今でも感謝しているし、自分がもし逆の立場に立ったときには、きちんと伝えるという選択肢を持てる人間でありたいと思う。

距離感とは、盲目から脱すること。相手がイメージする愛は自分のそれと違う形をしているということを知ること。知ることができたら、それを自分の浴槽いっぱいに貯めて、自分の体の隅々まで行き届くようにきちんと浸すこと。そうしてはじめて、相手と自分の距離を認知できて、相手の不可侵と自分の不可侵の境界線が、まるでカメラのピントが合ったときのようにはっきり見えてくる。それでもなお、意識してフォーカスを合わせ続けないと、徐々にずれていってしまうから、見つめようとすること。

自分と相手との距離感。


少し手を離すと、すぐにぼやけてしまう厄介な生き物の存在を感じながら、少しだけ回った酔いと一緒に、心地よい夜を過ごした。






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