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3.11に想う

こんにちは、霜月です。

今朝もつぶやいたけれど、今年も「あの日」が巡ってきた。
住んでいる場所的には1.17の方が身近なはずだけど、わたしはまだ幼かったのであまりよく覚えていない。隣で寝ていた父が覆い被さって守ろうとしてくれたことだけは鮮明に記憶している。

11年前のあの日は今日と同じ金曜日だった。
大学の軽音楽部の卒業ライブを控え、地下の部室で練習していた。だから揺れに気づくこともなかった。

当時はまだガラケーだったからニュースなんて知る由もなく、帰りに寄った百貨店のテレビで初めてその惨状を目の当たりにした。確か18時頃、凄まじい揺れと波が東北を襲ってから3時間以上経っていた。

最初は信じられなかった。テレビに映る光景が、今まさに同じ国の中で起こっていることだなんて。
不適切かもしれないことは承知の上で、9.11の時と同じような感覚だった。こんなことが現実に起こるわけがないと、半ば無理やり言い聞かせていたように思う。

世の中の風潮が明らかに変わったと肌で感じたのは、きっと3.11が初めてだ。
テレビはどのチャンネルも同じ内容と映像の繰り返し、娯楽は不謹慎だと自粛ムードになり、CMでさえあの数パターンの無限ループ。
「普通に生活していていいのか」「楽しんだり笑ったりしてはいけないのか」「何もできない自分は無力だ」……わたしがそう思うようになるまで、さほど時間はかからなかった。

同時に、メディアを見ることが自分にとって大きなストレスになることを知った。
大きな災害や事故、事件があったとき、わたしはなぜか「目を背けてはいけない」と思い込んでいた。だからこの時もいつも通りにテレビや新聞、ネットニュースを見ていた。

きっかけは忘れてしまったけど、そういう類のメディアに触れ続けることが自分の心をじわじわと蝕んでいたんだと、ある日気がついた。
「無理をしてまでリアルタイムで現実を知ろうとしなくていい。メディアもすべて遮断していい」という感じの言葉をどこかで見かけたからだろうか、そんな気がする。

忘れてはいけないのは3.11だけじゃない。各地の震災や豪雨、台風、噴火、もちろん人と人との争いだってそうだ。
わたしにできることなんて何もない。だからせめてその日を忘れることなく、日本の片隅からただ祈りたい。どうか悲しい思いや苦しい思いをする人が少しでもいなくなりますように、と。

奇しくも今日、兵庫県南東部で地震が起きた。
朝のつぶやきだけのつもりだったけれど、揺れを感じてしまったからか、こうして長々とまとまりのない文を綴っている。
これが、2022年の「3.11」にわたしが想ったことなのだ。

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