真・雀姫1008 今夜はクールに48000

「トップは新人さんでーす!」

 ぼくが首尾よく仕上がったメンタンピンツモドラ1に満足していると、対面の千羽さんが「お見事なのじゃ!」と満面の笑みを浮かべた。

「トップが取れて偉いのじゃ! 格好いいのじゃ!」

 ぼくは面と向かってほめられて「いやあ」と照れ隠しに頭をかいた。禁煙パイポを咥えた鮫島マスターがぼくらのやり取りを見てニコニコと機嫌良く笑った。

 歌舞伎町の雀荘「健康麻雀ジェントルメン」に通い始めて一ヶ月が経つ。場所が場所だし最初はガチガチに緊張していたのだけれど、マスターの鮫島さんや他の常連さんが優しく丁寧に雀荘のルールを教えてくれたので初心者のぼくでも安心して打つことができた。何より、

「もう点数計算もバッチリなのじゃ! 天才なのじゃ! 将来はプロ雀士間違いなしだね!」

 という推しの称賛がぼくを足繁くジェントルメンに通わせるのだ。ぼくは「いやあ」と再び照れ隠しに頭をかくと、ガチャガチャと牌をかき混ぜた。常連の大悟さんが山を積みながら「姐御はすーぐ初心者を調子に乗らすんだから」と苦笑いを浮かべる。

 千羽黒乃

 近代麻雀に漫画とコラムの連載を持つなど今やVtuber界を代表する麻雀系Vtuberだ。ぼくも千羽さんの影響で麻雀を始めたリスナーの一人だった。だから、風の噂で「ジュクの天狗」のことを耳にした時は本当に驚いたものだ。というか、現代日本でまさか「烏天狗」を実際に目の当たりにできるとは思いもよらなかった。

「高尾山のあたりにはまだ結構たくさんいるのじゃ」

 と、千羽さんはさも当然という風に教えてくれた。よくよく考えてみれば、シーラカンスだって一昔前までは絶滅したと思われていたのだし、高尾山の秘境に烏天狗が生き残っていてもなんら不思議ではない気がした。というか、他ならぬ本人がいうのだから疑いの余地はない。

 気がつくと、千羽さんとは別の推しの配信時間が迫っていた。大学生活と麻雀と推し活でぼくのスケジュールは毎日パンパンだ。ぼくは「ラストでお願いします」と伝えて最後の半荘に臨んだ。千羽さんは「負けないぞー!」と意気込んでいたけれど、大悟さんから追っかけリーチを食らって「ぎょえー!」と悲鳴をあげながら早速ワチャワチャしていた。

 結局、最後の半荘は当たり牌を掴んで倍満を振り込んだ千羽さんがラスを引いてしまったのだった。

 雀荘から帰途に就く途上も、ぼくは千羽さんの慌てぶりを思い出してずいぶん楽しい気持ちになっていた。だから、スマホの通知が鳴って千羽さんとは別の推しの配信が急な用事で中止になったと知った時は余計にがっかりしたものだ。

 ぼくは「参ったな」と頭をかいた。今日の午後は推しの配信のためにバイトのシフトもずらしてスケジュールを確保していたのだ。もう一度ジェントルメンの卓に戻ろうか、とぼくが考えあぐねていると、

「きみ、ジェントルメンの新人さんだろ?」

 急に話しかけられて、ぼくはどきりと心臓を押さえた。雀荘のエプロンを着たメンバーさんらしき男の人がニコニコと愛想笑いを浮かべている。ぼくは若干の胡散臭さを覚えながらも「はあ」と頷いた。メンバーさんは「やっぱり!」と手を叩いた。

「鮫島さんから噂は聞いているよ。新人さんなのに強いんだってねえ。千羽さんも大絶賛らしいじゃないか」

 ぼくは「いや、そんな」と頭をかいた。褒められて悪い気持ちはしない。

「よかったらうちでも打っていってくれないかい? いや、ちょうど面子が一人足りなくて他のお店から誰か連れて来ようと思っていたんだ。ご新規さんにお店の紹介もかねてサービスもさせてもらうから」

 ぼくは少し悩んだけれど、いったんお暇したのに改めてジェントルメンに戻るのもなんだか気が引けるし、他にやることがあるでもなし……というわけで、メンバーさんのお店にお邪魔することに決めた。

「そうこなくちゃ。じゃ、お店に案内するね」

 ぼくはメンバーさんに連れられるがまま歌舞伎町の住宅街に足を踏み入れた。ぼくが「こんなところにお店があるんですか?」と尋ねると、メンバーさんは「知る人ぞ知るお店なんだ」と愛想笑いを返した。

 やがて、メンバーさんは住宅街の路地裏にある寂れた界隈のマンションのインターホンを鳴らすと「釣れました」と言ってオートロックが解除されるのを待った。ぼくは「こんな辺鄙なところにもお店があるんだなあ」と呑気なことを考えていた。

「ここだ」

 メンバーさんが指差したのは、表札も何もないマンションの一室だった。ぼくが「ここ?」と不安な面持ちを向けると、中から仕事帰りのサラリーマンという感じのおじさんが現れて「待ってたよ」とぼくの肩を掴んだ。メンバーさんはぼくが部屋の中に連れ込まれるのを玄関のドアの外から手を振りながら見送っていた。

「いや、悪いね。急な誘いで」

 おじさんを含む三人の面子がぼくを人の好さそうな笑顔を浮かべて出迎えた。部屋には手積みの雀卓と高級な調度品がずらっと並んでいた。おじさんは「身内だけの雀荘なんだ」とぼくに説明した。ぼくは部屋の壁に飾られた鹿の剥製の頭を見て「不気味だなあ」と少し怖気づいていた。

「じゃ、早速始めようか」

 さっきのおじさんがサイコロを振った。ぼくは初対面の面子との対局でいささか緊張してはいたけれど、千羽さんの教えを思い出しながらサイコロを振った。親はぼくだ。

「ツモ! 中ドラドラで、えーと……2000オールかな?」

 快調な滑り出しと言えた。おじさんと他の面子も「若いのにやるねえ」と嫌な顔ひとつせず点棒をくれた。ぼくは「親切なおじさんたちなんだ」と幾分かほっとした心地で胸を撫で下ろした。

 ぼくとおじさんたちは終始和やかなムードで半荘を終えた。トップはぼくだ。続く二戦目の半荘もぼくはトップと僅差の二位で終えた。今日は随分調子がいいな、と思った。

「よし、次の半荘だ」

 しかし、結論から言えば、調子がよかったのは二戦目までだった。続く三戦目からツキは急にぼくを見限ったように思えた。

「ポン!」

 ある局で、ぼくはダブ東を鳴いて「ダブ東・混一色」を確定させた。しかも、待ち牌は「西」と「北」のシャボだ。ぼくは「間違いなく出る」と思ったけれど、流局後の手牌を見ると西と北はぼくと下家と上家で持ち持ちで、ぼくの待ちは見事に死んでいたのだった。

 あるいは、

「カン!」

 一巡目にダブ南を鳴いて速攻でテンパイしたあと、ぼくは分の良い賭けだと信じて加槓を打った。新ドラを見て「乗った!」と喜んだのもつかの間、

「ロン」

 対面のおじさんが手牌を倒した。

「槍槓ドラ3。12000」

 おじさんは「珍しいモンでアガれて気分がいいや」と笑った。ぼくは「槍槓なんて初めてみました」とおじさんの手牌を見た。

 槍槓ドラ3……?

 ドラとは言えオタ風の「北」を鳴いて役ナシに受けるのはなんだか変だと思ったけれど、ぼくが何か言うより先におじさんはガチャガチャと牌をかき混ぜてしまった。

 その後も、ぼくは二連続でラスを引き続けた。なんだかぜんぜん負けた実感がなかった。

 というのも、ぼくがリーチを打つと誰かが追っかけリーチを打ってぼくから和了し、ぼくがオリを選択して一巡前の親の捨て牌を切るとちょうどテンパイに取った他家が和了し、ぼくが親番になると誰かが満貫や倍満をツモ和了してぼくから毟り取っていくのだ。

 だから、

「じゃ、50万だ」

 おじさんが煙草にマッチを擦りながら「耳を揃えて払ってくれよな」と言ったとき、ぼくはようやく「カモられた」ということに気づいたのだった。お金を賭けるなんて知らされていなかったけれど、そんなことを言って通る相手とも思えなかった。

 ぼくは茫然自失の体で夕方の歌舞伎町をさ迷った。マンションを出るとき、おじさんはぼくの財布から学生証を抜き取って「警察にたれこんだらどうなるかわかるな」と凄んだ。やくざが主催する違法賭博に参加したということが誰かにバレたら推し活どころの騒ぎではなくなる。

「……殿……新人殿!」

 はっ、として振り向くと、千羽さんがぼくを心配そうな面持ちで見上げていた。千羽さんは業務スーパーの袋を持って高尾山の家に帰る途中のようだった。

「いったいどうしたのじゃ? 顔が真っ青なのじゃ」

 ぼくは「なんでもありません」と首を振った。千羽さんはきらっと目を光らせた。

「やくざマンションの方から出てくるのが見えたのじゃ。もしやお主、カモられたのじゃ?」

 ぼくは観念して千羽さんに洗いざらい事の次第をぶち撒けた。千羽さんは最初は「ふむふむ」とぼくの話を黙って聞いていたが、ぼくが槍槓を食らった話を聞くと表情を一段と険しくした。

「事情はわかったのじゃ。それで、新人殿はどうするつもりなのじゃ?」

 ぼくは「学生証も取られちゃったし」と支払いに応じる気でいることを伝えた。不幸中の幸いというべきかぼくには推し活のためにバイトで溜めたお金が結構な額あるのだ。

 すると、千羽さんは「わしによい考えがあるのじゃ」とぼくを上目遣いに見上げた。ぼくは「よい考え?」とオウム返しに尋ねた。千羽さんは「うむ」と頷き返した。

「儂がもうひと勝負挑む」

 ぼくは「いやいや」と千羽さんを思い留まらせようとしたけれど、千羽さんは「そうと決まれば善は急げじゃ!」とぼくの話を一切聞かずに業務スーパーの袋をぐっと持ち直した。

「晩ごはんを食べて戦支度を整えたらすぐ戻るからジェントルメンで待ってて欲しいのじゃ!」

 ぼくは言っても聞かない千羽さんを見送るとトボトボとジェントルメンに戻った。事情を知った鮫島マスターと大悟さんはカンカンに怒って、特に大悟さんなんか「野郎!」と息巻いて今にもやくざマンションに乗り込んでいきそうだった。鮫島マスターは「まあまあ」とぼくらに梅昆布茶を淹れてくれた。千羽さんが常々配信で言っている通りどの雀荘にもなぜか梅昆布茶があるのだ。

 ぼくが「とんだことに巻き込んでしまって」というと、鮫島マスターは新品の禁煙パイポを咥えて苦み走った笑みを浮かべた。

「いや、案外巻き込まれたのは向こうかもしれないよ」

 ぼくが「?」と首を傾げると、店のベルが鳴って「お待たせしたのじゃ」と千羽さんの声がした。ぼくは思わず息を呑んだ。千羽さんは普段の和装(和装?)ではなくスーツ姿だった。

 三つ揃えのスーツの色は深みと艶のあるボルドーで、シャツはチャコールグレイだ。タイと袖はいずれも高級な銀のピンとカフスで留められている。靴はチェスナットのオックスフォードで、何から何まで「夜の紳士」という出で立ちだった。

「戦支度は万全なのじゃ」

 ぼくは普段の配信と違って前髪を軽く上げて後ろに流した大人っぽい千羽さんにドギマギしながらジェントルメンを出発した。正装に身を包んだ千羽さんが夜の歌舞伎町を歩くとキャバレーのポン引きたちが「おつかれさまです!」と膝に手を当ててお辞儀した。千羽さんはちょっと手を挙げて彼らの前を通り過ぎた。ぼくは「千羽さんは夜の歌舞伎町でも有名人なんだなあ」と思った。

 やくざマンションのインターホンを鳴らすと、おじさんと二人の面子が怪訝な面持ちで千羽さんとぼくとを交互に見比べた。ぼくは本物のやくざを前に何も言えず震えていたけれど、千羽さんは「お邪魔するのじゃ」と気軽に玄関の敷居を跨いだ。

「なんだ、おめえは?」

 という問いに答えず、千羽さんはスーツの懐から分厚い封筒を雀卓に放った。他の二人の面子がギョッとするほど重い音がする。千羽さんは「卓が立っていると聞いてな」とおじさんの目を真っ直ぐ見た。

「わしも混ぜてもらうぞ」

 おじさんは他の二人の面子と目配せをすると「取りな」と席決めの牌を並べた。千羽さんが一枚選んで卓に牌を打つと、他の三人も牌を打ってそれぞれの席に座った。


半荘一回のデカデカピン
トビなし
親はあがり連荘
人和とダブル役満はなし

 千羽さんはルールを聞くと「よいじゃろう」と首肯した。ぼくは千羽さんの後ろで洗牌の音を聞きながらソワソワと所在なさげに身を揉んだ。しかし、対局が始まってしまえば、

「ロン、7700じゃ」
「ロン、5800じゃ」
「テンパイじゃ」
「ツモ、3000・6000じゃ」

 強い、迸るほど強い! シロウトのぼくにも他三人との地力の差がはっきり目に見えるようだ。午後のジェントルメンで追っかけリーチに悲鳴を上げていた千羽さんとは別人のような風格を感じる。
 
 苦虫を噛み潰したような渋い表情を浮かべるおじさんたちを尻目に、怒涛の連続和了で一躍大トップ目に躍り出た千羽さんは南場を迎えた。

 しかし、

「テンパイじゃ」

 まただ、とぼくは思った。千羽さんの当たり牌を下家と上家が使い切って殺している。千羽さんは何食わぬ顔で洗牌しているけれど、さっきのぼくの話と合わせてどこか腑に落ちなさを感じているはずだ。

 南二局、

「ポン」

 おじさんが千羽さんの「北」をポン。

「ポン」

 今度は「東」だ。

 雀卓をぐるっと回り込んでおじさんの手牌を覗き込んだぼくは「うっ」と危うく漏れかかった悲鳴をこらえた。大四喜の聴牌だ。

 しかし、千羽さんも「白」の単騎待ちだ。まだ順目が早いし白は一枚切れだから誰かが掴めばきっと出る。

「カン」

 おじさんは「東」へ加槓を打った。嶺上牌は「白」だ。ぼくは千羽さんの和了だ、と思った。小四喜の聴牌を崩してまで一枚切れの白を抱える選択はありえない。

 しかし、おじさんチッと舌打ちして「西」の暗刻を落としにかかった。ぼくの頭の中は「???」と疑問符でいっぱいになった。

「ツモ、南のみだ」

 千羽さんのロン牌を使い切った値千金の1000点だ。ぼくは「こんな一点読みがありえるのか」と背筋をぶるぶると震わせた。

 しかし、千羽さんはおじさんの顔と手牌とを見比べたあと、おもむろに座席の背後の鹿の剥製を肩越しにちらりと確認した。剥製の左目がきらっと不自然に光った。

「なんでもあり、だったんじゃな?」

 続く南二局、親の千羽さんは配牌を鹿の剥製に向かって見せつけるようにギュッと傾けてみせた。一巡目のツモは「白」だ。手牌に「白」と「發」があって2900点が固いけれど、ぼくはキンマwebで連載中の「千羽黒乃の麻雀教室」を受講しているので千羽さんの次の仕掛けが読めた。現状2900点の手を染めに寄せて「混一色・白・發、12000点」の4倍アタックチャンスだ。

「ポン」

 千羽さんが「白」を鳴く。次のツモで「發」を暗刻ってテンパイ。待ちは筒子の「6」と「9」だ。

「カン」

 おじさんの暗槓は――筒子の9! しかも、新ドラが乗って一気にドラ4確定。

「もう一つカンだ」

 今度の暗槓は――筒子の6! しかも、新ドラがさらに乗ってドラ8だ!

 千羽さんの待ちを使い切ってのドラ8はどう考えたって正気の沙汰じゃない。ぼくは「イカサマだ!」と叫んだ。おじさんと他の二人の面子が一斉にジロッとぼくを睨んだけれど、千羽さんは左手で自山の乱れを整えながら「よすのじゃ」と静かに首を振った。

「バレなきゃイカサマではないのじゃ」

 千羽さんが「そうじゃな?」というと、おじさんは「その通り」といやらしい笑みを浮かべて嶺上牌の「中」を、パァン! と強打した。

「おっと、ロンじゃ。そいつは高いぞ」

 ぼくとおじさんが「え?」と目を瞬かせる前で、千羽さんは「いやいや、まさか出るとは思わなかったのじゃ」と人を食った悪い笑みを浮かべながら手牌を倒した。

「48000」

 千羽さんの手牌にあった筒子の「6」と「7」がいつの間にか消えて、代わりに「中」の対子が出来上がっていた。大三元だ!

 おじさんの満面にカッと朱が差した。

「やりやがったな!」

 千羽さんが「なんのことやら」と嘯くと、おじさんは、バァン! と雀卓を手でぶっ叩いた。

「さっき左手で山を触っていたのを見たぞ!」
「気のせいなのじゃ。それとも、何か証拠でもあるのじゃ?」
「あるぞ!」と、おじさんは鹿の剥製を指差した。「あのカメラが一部始終をちゃんと録画してんだ!」

 しん、と部屋に沈黙が降った。他の二人の面子は「ええ……?」という顔で困惑しているし、ぼくも「そっかあ」と色々な疑問がようやく腑に落ちた気がした。鹿の剥製にカメラが仕込んであったのだ。

「終わりじゃな」

 おじさんは顔を真っ赤にして「この尼ッ!」と拳を振り上げた。ぼくが「あっ」という間もあらばこそ、

「そこまでだ」

 部屋に男とも女とも言えない不思議な声が響き渡った。おじさんは「せっ、先生!」と頓狂な叫びを漏らして背広のポケットから慌てて取り出したスマホの画面を見た。

「先生ッ、今すぐ助っ人をお願いします! この尼がイカサマを!」

「キミたちさあ」
 しかし、先生の声はぞっとするほど冷たい。
「カタギさんにイカサマ使っちゃダメだってオヤジさんもボクも再三再四忠告したよね?」

 おじさんは「で、ですが!」と食い下がった。

「やられっぱなしじゃ組の面子が立ちませんぜ! こんなどこのお山のものとも知れねえ天狗に、」

「その天狗はボクの友達だよ」

 おじさんが「えっ、先生の!」と表情を引き攣らせると、先生はスマホを置くように言った。雀卓にこっち向きに置かれたスマホを見たぼくは「あっ!」と思わず声を漏らした。

「どうも。世界最強麻雀AIの鴨神にゅうです」

 スマホの小さな画面に写った麻雀系Vtuber鴨神にゅうが「や、千羽さん」と手を挙げた。千羽さんも「こんばんはなのじゃ」とお辞儀を返した。ぼくは「推しが二人も!」という状況に急な立ちくらみを覚えた。

「鴨神殿のところのシマだったのじゃ?」

「お恥ずかしながらね。麻雀警察さんから悪い噂を小耳に挟んで網を張ったら案の定だ。ボク、今日は午後から配信するつもりで予定を空けてたのに」鴨神さんはフンスと鼻息を荒くした。「というわけで、この場はボクに任せてくれると凄く助かるんだけれど……」

「この子の気分次第じゃな」

 ぼくは立ちくらみからハッと我に返った。とすると、ぼくのもう一人の推し――鴨神さんの午後の配信が急に中止になったのはこの一件が原因だったのだ。

 鴨神さんはぼくに「お願い」と両手を合わせた。推しに「お願い」されて断るのはリスナーとは呼べない。ぼくは「じゃあ今度の配信で『マジカル☆にゅうにゅう』してください」と鴨神さんに交換条件を出した。鴨神さんは神妙な面持ちで「善処します」とだけ答えた。

 やくざマンションを出る頃には夜はすっかり更けていた。歌舞伎町の色とりどりのネオンが千羽さんの大人びた横顔をきらきらと眩しく彩っていた。

「今日はとんだ目に合ったのじゃな」

 ぼくは新宿駅までの道すがら千羽さんにたくさん質問をした。どうやってあの手牌を大三元にしたのかとか、なぜそんなことができるのかとか、そもそも、高尾山の烏天狗が新宿の歌舞伎町で普段いったい何をしているのかとか、そんなことを。

 けれど、

「内緒」

 なのじゃ。と、千羽さんが人差し指をそっとぼくの唇に押し当てると、ぼくは途端に何も言えなくなってしまった。

 ぼくは新宿の夜の闇へ消えていく千羽さんをぼーっとのぼせ上がりながら見送った。千羽さんは背が低いのですぐ人混みに紛れて見えなくなってしまうと思ったけれど、新宿駅から歌舞伎町に向かう人たちはみんな千羽さんに「おつかれさまです!」と膝に手を当てて深々とお辞儀をするので小さな後ろ姿はなかなか消えなかった。

 ぼくが「歌舞伎町民はみんな千羽さん推しなんだなあ」とぼんやり考えていると、千羽さんは急に振り返ってぼくを見た。そして、

「今夜も配信で打つからよかったらきて欲しいのじゃ!」

 と、小さな身体でいっぱいに背伸びをして手を振った。ぼくが「あっ、はい!」と大声で返事をすると、千羽さんは満面の笑みの気配を残して今度こそ歌舞伎町のネオンの光の中へ消えていった。
 
 あれだけの修羅場をくぐった直後にまだ麻雀を打とうだなんて、
 やっぱり烏天狗ってすごい。

 ぼくはあらためてそう思った。

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