どんぐり王国のお姫さま

あらすじ


 小春日和の日曜の午後、近所の公園のベンチに座ってダンセイニの『魔法の国の旅人』を読んでいると、木野瀬らくがデジタル一眼レフのカメラを手にキンモクセイの並木道を歩いてくるのが見えた。

 僕は図書館で借りたばかりの本に栞を手挟み、推しの様子を少しの間だけ観察することにした。僕はリスナーの鑑なので配信外で推しに話しかけたりはしないのだ。らくさんは僕の存在に気づくことなく秋の透明な空から降り注ぐ澄んだ木漏れ日に眩しげに手をかざしていた。

 もちろん、らくさんは僕たちの想像通りの――いや、それ以上に――素敵な女の子だった。日除けのベレー帽から流れ落ちる亜麻色の髪は若く艶やかで、梔子色のチェスターフィールド外套の裾が歩調に合わせて揺れるたび、栗皮色の編み上げ長靴の革底が妖精たちの踊るような小さく可憐な音を鳴らした。

 しばらくの間、らくさんは馥郁たる秋の芳香に満ちたキンモクセイの花房に向かってシャッターを切っては写真の出来栄えをチェックして悩ましげな表情を浮かべていた。

 iPhoneに通知が一件。

 らくさんのTwitterにキンモクセイの花房の写真が一枚コメント付きでアップロードされていた。
 僕は黙って「いいね」を押した。

 らくさんは「よし」と満足気に頷き、毛糸の手袋をした両手に再びカメラをたずさえて今度は雑木林の方へ歩き出した。

 僕は推しが遠ざかっていくのを公園のベンチから何も言わず黙って見ていた。すると、何か小さな影が推しの足取りを追っていくのに気づいた。

 最初はタヌキか何かだと思った。というのは、その変な生き物はネコやイヌとはあきらかに違った形をしていたからだ。しかし、僕は実家でその手の有害鳥獣は見飽きているからすぐにタヌキでもないとわかった。イタチでもハクビジンでもない。

 それは「トトロ」だった。

 スタジオジブリのアニメ映画『となりのトトロ』に出てくるあのトトロだ。野良猫と同じくらいのサイズのトトロが付かず離れずらくさんのあとを追いかけているのだ。

 らくさんが歩くたび、パンパンに膨らんだポケットからこぼれ落ちるどんぐりを、一つ、また一つと、小さなトトロが拾って袋に詰めていく。ヘンゼルとグレーテルが道しるべに撒いたパンくずをついばむ小鳥たちのように。推しの配信を追いかけるリスナーみたいでもあるなと思いながらトトロを目で追っているうち、彼(彼女?)とふとした拍子に目が合った。

 最初のうち、トトロは僕がまさか自分を見ているとは思っていないようだった。しかし、僕が真っ直ぐ彼(彼女かもしれない)の目を見つめ続けていると、やがて、爪の間に挟んだどんぐりを恐る恐る「いる?」という感じで僕に向かって差し出した。僕は「いらない」という意思をはっきり伝えるためにゆっくりと首を横に振った。トトロはほっと胸を撫で下ろし、とたんに全身の毛を一斉に逆立てて脇目も振らず僕の前から消え去った。

 僕は小さなトトロが消えてしまったあとも糸井重里が考えた「このへんないきものは、まだ日本にいるのです。たぶん。」という有名なキャッチコピーについてしばらく考えていた。トトロの実在が証明されたいま、あらたなキャッチコピーが必要とされるポスト糸井の新時代を迎えるのかもしれない。たとえば「あのへんないきものがまだ日本にいた!」とか。なんだか藤岡弘探検隊みたいだな。

 ふと気がつくと、らくさんの姿も消えていた。

 公園の雑木林にどこか秘密めいた沈黙と静寂が満ちた。僕は外套の衿を立てるとスロートラッチのベルトを留めてベンチから立ち上がった。そして、らくさんを最後に見た場所まで落ち葉を踏みしめながらゆっくりと歩いた。

 雑木林の植生はクヌギやナラなど日本古来の原生種だった。腐葉土のすき間からは切り株の根本に生えたきのこが顔を出している。とは言え、地方自治体から委託された誰かが管理している小さな雑木林だ。女の子が神隠しに合うような場所ではない。

 僕はさっきトトロが消える拍子にぶち撒けたどんぐりをひとつ拾ってみた。近くを探してみると、落ち葉の上につい今しがたらくさんのポケットから落ちたばかりのどんぐりが点々と続いている。

 どんぐりを拾いながら歩くうち、僕は一本のクスノキの前で立ち止まった。

 鎮守の森の御神木と呼んで差し支えないような古い大樹だ。太い幹には大人が入れる程の大きな「うろ」が空いていた。うろの中を覗き込むと、やはり、らくさんのどんぐりがある。スマホのライトでうろの暗闇を試しに照らしてみた。大樹の古いうろにしては、不思議と清潔な場所だ。小動物や虫が住処にしている痕跡もない。ということは、つまり、虫や小動物よりも大きな何かが頻繁に出入りしているということだ。

 僕は試しに「うろ」の中に身体を入れてみることにした。いくら大きな「うろ」とは言え、男が入るにはやはり幾分か手狭だ。しかし、例えば女子供であればすんなり出入りできても不思議ではない。

 うろの天井を照らすと、なにやら梯子のような出っ張りがある。僕は出っ張りに足を引っ掛けると、うろの内側に垂れ下がった植物の蔦を掴んで身体を持ち上げた。蔦はいっそ不自然なほど頑丈で僕を吊り下げても千切れる気配はみじんもなかった。

 僕は、上へ、上へ、と登った。

 梯子は少しずつ角度を緩やかにして、途中でいったん水平になると、今度はまた緩やかに下降を始めた。

 僕は、下へ、下へ、と降った。
 
 つまり、形としては「∩」だ。どうやら、梯子はクスノキの内部をぐるっと一周する作りになっているようだった。

 ほどなく、僕は元の「うろ」の反対側から外へ出た。

 公園の雑木林とは桁違いの広い森だ。クヌギやナラはいずれもそびえ立つほど背が高く、しかも、太い幹はトラックが激突してもびくともしないのではないかと思えるほどガッシリと頑丈だった。小川の流れは濁りなく清らかで、猪や鹿が濡れた鼻先を浅瀬に突っ込んでなんの憂いもなく喉の渇きを癒やしている。黄金の毛並みの獣たちはいずれも丸々と太っていた。食べ切れないほど豊富などんぐりのおかげで縄張り意識というものがまったく残っていないように見えた。

 らくさんの落としたどんぐりを拾いながら森をしばらく歩くと、ふいに馬車のわだちが残る街道に出た。牧草地の広がる小高い丘に登って周りの風景を見渡すと、道案内の看板が見える。

「ここより先、どんぐり王国」

 僕は外套のポケットに両手を突っ込んだまま口笛を吹いた。らくさんの出身地はやはり「どんぐり王国」で間違いなかったのだ。普段の配信で見せる婚期にあせったアラサーのOLみたいなキャラクターは僕たちの世界に溶け込むための周到な演技に違いないのだ。

 再び丘の上に登って目を凝らすと、流れの緩やかな幅広の川を渡った橋の先に低い丘を背景にしてどんぐり王国の高い壁が見えてくる。丘の上にはお城の塔の一部も見えた。高い壁の正面には街道に続く城門があったが、見張り塔に兵士の姿はなかった。城郭都市が必要なほど逼迫した争いは遠い昔に終わっているのだ。

 途中、どんぐり王国へ積み荷を運ぶ馬車を拾って街まで送ってもらうことにした。馬車の持ち主の行商はどんぐり王国にくだものを運び、どんぐり王国から民芸品を運ぶのだそうだ。

 僕が「最近りんご届けました?」と尋ねると、行商は「届けたよ」と馬の手綱を引きながらあくびを噛み殺した。

 どんぐり王国はひとつの都市とその周辺地域が独立した文化圏を構成するいわゆる「都市国家」である。首都「コノーセ」といくつかの村落を合計した総人口は百万と少し。日本で言えば京都市の規模に相当する。

 街並みを彩るのは豊富な森林資源を活用した木組みの伝統家屋だ。赤茶色の粘土を焼き固めた洋瓦葺の屋根と白漆喰の塗壁が街の景観を方向付けている。街路樹はイチョウ、ケヤキ、トチノキなどすべて実が成る種類で、秋になると腹を空かせたカケスたちがどんぐりを拾いに街を訪れた。

 街と森とを往復するカケスは、古くから「よき王の導き手」であると考えられてきた。王室の紋章には「どんぐりをくわえたカケス」が今も描かれているし、そうでなくてもどんぐり王国には「森で迷ったらカケスを追え」という格言もあるほど国民の生活と密接に絡んだ鳥なのだ。

 王国の主な名産品は、豊かな森のどんぐりを食べて育つどんぐり豚とその加工品。それから、オーク材を使った高級家具。よって、どんぐり王国は家具職人たちのメッカでもある。朝になると聞こえ始める職人たちがノミを打つ音が街全体に健やかな活気を与えていた。

 僕はらくさんのリスナーだということを伏せたまま職人街の路地の小さなタヴェルナで少し遅めの昼食を取ることにした。老夫婦が二人で経営する店に他の客の姿はなく、僕がカウンター席に着くと自然と世間話が生まれた。

 僕は旅人だと名乗った。生きとし生けるものはすべて人生という名の荷車に揺られる旅人なのだ。嘘は言っていない。

 タヴェルナの老婦は陶器のゴブレットに蜂蜜酒を注ぎながら「観光なら」とコノーセの城へ行くことを勧めてくれた。現代王室の生活拠点はもっと交通の便が良い「どんぐり宮殿」に移っており、コノーセの城は今は観光資源として旅行客でも自由に見学が可能なのだ。

 どんぐり豚の塩漬けを使ったキッシュとパンで空腹を満たしたあと、僕はタヴェルナの老婦人にもらった地図を頼りにコノーセの城を目指すことにした。コノーセにはバスやタクシーなどの公共交通機関が一部を除き存在しない。あっても、複雑に入り組んだ細い街路を走るのは無理だ。歴史と伝統ある古い街並みにはおかげでもう駐車場を作るスペースすらないのだ。

 とは言え、コノーセの城へは例外的にきちんと観光客を運ぶバスが出ていた。勿論Suicaも使える。別に中世というわけではないのだ。

 バスの車内には、らくさんがいた。

 らくさんはバスの一番後ろの座席であの小さなトトロを膝に抱いたまま窓際に身体を寄せて静かに寝息を立てていた。トレードマークの丸眼鏡が少し鼻からずれて落ちかかっていた。僕の視線に気づいた小さなトトロが、ビクッ、と咄嗟に身じろぎした。僕は「しーっ」と唇の前で人差し指を立てた。小さなトトロは僕の意図を察して何度か小さく頷いた。そもそも、らくさんに抱き締められているので今度はどこにも逃げる場所はなかった。

 バスに他の乗客の姿はなく(コノーセは職人の街で、職人は昼間は工房にいるのだ)、僕はらくさんとらくさんに抱かれて逃げ場を失ったトトロのことをずっと見ていた。

 タヴェルナの老婦人の話によると、どんぐり王国には大きな木がたくさんあるし、どんぐりも山のようにあるから、トトロはそれほど珍しいものでもないのだそうだ。もちろん、人の世界とは相容れない生き物だから、街で見かける機会はそれほど多くはない。

 とすると、らくさんはいったいぜんたいどんな経緯でトトロを膝に抱いてバスに乗ることになったのだ?

 小さなトトロは今も緊張した面持ちで僕と不毛なにらめっこを続けている。彼(性別不明や中性や無性に対する三人称代名詞の発明が待たれる)はどう見ても人の視線に強いストレスを感じているようだから、彼がみずから望んだ状況とは考えがたいことだ。まさか捕獲されたのだろうか。仮にらくさんが実力行使でトトロの身柄を確保したのだとして、彼を連れていったい何をするつもりなのか。

 謎が謎を呼ぶバスの車内で、僕とトトロは片時も視線を逸らすことなく見つめ合った。はじめ、我々の間には冷戦にも似た緊張状態があった。しかし、お互いに敵意のないことを確かめ合うと、次第に歩み寄る余地が生まれた。僕とトトロは視線のやり取りだけで実に多くのことを語り合った。なぜ人は生まれるのか、なぜ宇宙は存在するのか、なぜ何もないのではなく何かがあるのか。人生、宇宙、そして、万物についての究極の疑問の答え……トトロはすべてを僕に語ってくれた。しかし、それを書くにはこのnoteの余白は狭すぎる。

 一つ確かなのは、僕とトトロの間に友情が芽生え、恋に落ち、愛が燃え上がって、そして、すべてが情熱を失って冷え切るほどの時間を経てもなお、らくさんは目覚める気配を見せなかったということだ。

 バスのアナウンスが次はコノーセの城だと教えてくれた。僕はほんの少しだけ別の選択肢を検討したあと、やはり降車ベルを鳴らすのはやめることにした。推しの眠りを妨げるのはリスナーのすべきことではないのだ。僕はバスの窓から秋の夕暮れに佇むコノーセの城の遠景を眺めた。

 コノーセの城の正式名称は「大地の恩寵によるコノーセ及びどんぐり王国及びその他の森の統治者、すべての泉の管理人、カケスの庇護者にして木立の精霊を抱く我らの幸運なる王女のための小さな城」である。長すぎる。

「やっぱりどんぐり王国のお姫さまなんだよなあ」

 僕が「そうだな?」という感じでさっき拾ったどんぐりをチラつかせると、らくさんに抱かれた小さなトトロも「そうです」という感じで頷いた。そら見たことか。トトロだって認めている。正体見たりって感じだな。
  
 よって、木野瀬らくはどんぐり王国のお姫さま。


 Q.E.D.(証明終了)


◆木野瀬らく◆
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