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泉の歴史。古代ローマ編

噴水の歴史はとても古くて、紀元前3000年頃、古代メソポタミア文明の遺跡から“噴水の跡”と思われるモノが発見されているそうです。
当時の人々は“自然に湧き上がる水”に、神秘的な力を感じて、それを大切にしたとされています。
その後、古代ギリシャでは泉を利用して噴水が造られて、その周囲には、神殿が建てられるようになりました。
この頃、ポンプなど水を汲み上げるための動力を使わずに、水が噴き出る仕組みを考えた方がいます。
技術者で数学者の『ヘロン』で、
動力の代わりに『サイフォンの原理』を利用した。

ローマの泉に欠かせないのは、まずは古代ローマの水道。(コレがなければはじまらないが、これから書くと長くなるので、又の機会に…)
彼らの建築技術は本当に素晴らしいと思うのです。人間でなくローマ人は宇宙人だったんでは?と思う(笑)
引いた水は、1.皇帝用 2.個人用 3.公共用に分けていた。
最終地点には必ず巨大な貯水槽が設けられ彫刻なども施し、美的配慮がなられた記念碑的な泉が作られた。皇帝が生命の源を施し、権威を示したと考えられている。

マリウスの戦勝記念碑
226年にジューリア水道の貯水槽の上に建てられた記念碑の泉跡。水の神“オケアノス”の像が収められていたので「オケアノスの泉」と呼ばれていたそうです。

もう今は何かの廃墟のよう。残念だけど回りは吐きだめのような…ゴミだらけ…
実は、私は留学中この広場 の前のアパルタメントに住んでいた。お世辞にもきれいな広場もいえない雰囲気だった。
前回紹介した“ローマの泉の物語”の本で知ったのだ…
この壊れかけた廃墟が…3世紀の遺跡が野ざらし…って衝撃を受けた…ローマってホントただの石ころだって甘くみてはいけない!
ローマって偉大だぁって再認識した。

メタ・スダンスの泉
剣闘士達が、血で汚れて身体を洗ったといわれている泉跡。

もう跡かたもないが…
コロッセオ横の凱旋門近くにあります。

1世紀ドミティアヌス帝時代に作られた、基部が15.9m、円錐の高さが17mあったと考えられている。円錐部分の残骸が残っていたが、ファシズム統治下の1936年に、取り壊された…

 

セプティゾディウム

遺跡…撮影でき次第追記します。

2世紀末から3世紀初頭に皇帝セプティミウス時代に造られた巨大な泉。幅90mで三層の建物が皇帝の住居があったパラティーノの丘ふもとにあった。アッピア街道側に壮大屛風のようにそびえ立ち皇帝の住居を隠してた?守る?ようにたてられた。泉は、7つの惑星を表す像、中央には、テヴェレ川を表す像が置かれ、全体は様々な色の大理石で美しく飾らせていた。

アッピア街道からローマにやってきた
人々がこの巨大な泉をみたら、驚いただろうなぁ。今でも驚く(笑)この土木技術半端ない!
威厳を見せつけたのかもね。

しかし…1588年に教皇シクストゥス5世の命でとりこわされた。円柱や大理石は、教皇の造られた建築物に再利用さた。

きっと街中、名もない公共用泉もあったはず。
フォロ・ロマーノにあった小さな泉

出口の金属部分は、近年でしょうね?回りはそれぽいけど…違うかも知れないが…古代ローマと繋がった感じで、なんかロマンを感じます。
苔の感じもなかなかです。

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