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Sydney~ 昔訪れたことのある街、今息子が暮らす街

2023年1月。
慌ただしい年越しを終えて新年を迎え、わたしは毎日そわそわしていた。

依頼事項のやり残しが無いように、友人との約束で忘れて過ごしてしまうものがないように。今日できることは今日のうちに。いつも以上に身辺整理を心がける。

なぜなら、月末には待ちに待った旅に出発するから。

3年ぶりの国外脱出。
寒波が迫る東京から、真夏のオーストラリア・シドニーへ!!

旅立ちの理由

ことの発端は去年の9月。
次男がシドニーへ留学した。
大学を休学して、ワーキングホリデーで1年間。本人にとってはコロナの終息を機に、待ちに待った出発だ。

息子が一人で見知らぬ国へ行くことに、もちろん不安はあるけれど、彼が自分で決めたことが何よりも嬉しかった。

2年あまりの自粛期間は、大人にとっても子供にとっても、成長や変化を押しとどめるのに十分な時間だったと思う。
特に学生たちが学校へ行くこともなく、様々な出会いやハプニングもなく日々を過ごす様子を見て、苛立ちなのか心配なのか、とにかく他人事ながら残念な気持ちだったので、彼の出発については、背中をどんっと強く押すような気持ちだった。

それと同時に、たまらなく羨ましかった。

わたしも飛行機に乗って海外旅行がしたいよぅ!
大人ぶってなどいられない(笑)

もちろん、息子の様子を見に行く、なんていうもっともらしい理由もある。
そんなこんなで、いざオーストラリアへ

日常から脱出することで気づくこと

シドニーは時差がほとんどない。
1月はサマータイムのため、2時間日本よりも早いけれど、そんなのどうってことない。
さらに、羽田空港から発着できるためとっても便利だ。
22:00頃に羽田を出発し、翌日(現地時間の)8:00頃シドニーに到着。
8時間ほどのフライトは身体にこたえたけれど、何かを乗り越える感覚もなく着いたら、そこは”外国”だった。

空港に着くと、ブワッと毛穴が開く感覚に襲われる。久しぶりの暖かさというのもあるが、異国の匂いや慣れない言語、様々な空気を纏う人たちの様子に五感が開放になる。

空港には息子が迎えに来てくれた。
もちろん嬉しい。でも、懐かしさに涙するほどではないので日常会話で旅は始まる。
「腹へった?なんか食べる?」
「やっぱハンバーガーかしら。」

郷に入っては郷に従え
わたしは海外旅行ではほとんど日本食を食べない。
なるべく現地の人に混じりたいので、着るものも考える。知り合いに会うこともないので大してメイクもしないで平気で外に出る。
もちろん観光もするし写真もたくさん撮るけれど、いっときの非日常を存分に楽しむ派だ。
久しぶりに自分の日常から解放されると、なんだかとても気分が楽になった。

シドニーは思った以上に多文化国家だった。
現地の人なのか観光客なのかは分からないが、昔習った「人種のるつぼ」という言葉を思い出す。ちなみに、最近は文化が混ざり合うのではなく並立して共存することを強調するために「人種のサラダボウル」なんて言い方をするらしい。
世界にこんなにもいろんな人種がいて、様々な風俗や習慣があることに驚く。

子供たちも大人たちも大騒ぎで賑やかに食事をするのは中華系の人だろうか?
髭を蓄えた男性ばかりのグループが、食事中突如全員で離席してタバコを吸う。息子の話ではトルコ系の人たちらしい。
女性たちは街中でもビーチでも、太っていても痩せていても、結構年配でも気にせずミニスカートを履いている。

何よりも驚いたのは、シドニーの街では色んな人が地べたに座り込んでいた。
ホームレスとかそういう話ではない。
公園の木陰はもちろん、駅のホームや街中の階段、ショッピングセンターの入り口など。「汚い」といった感覚はあんまりないらしく、ちょっと疲れたり何かを調べたりするタイミングで地面に座るようだ。わざわざベンチの横の地面に座っている人もいた。
靴を脱ぐ習慣がないと、内と外の境界の概念も希薄なんだろうか?
正座の文化の日本人もびっくりよ。
そういえば、日本を立つ飛行機(カンタス航空)で、「床に寝ないでください。お子様を床に寝かせるのもご遠慮ください。」というアナウンスが流れて耳を疑ったが、実際現地に来てみると、きっとそういう人がいたから注意しないといけないんだろうなぁ、と合点がいった。

それにしても、なんとのんびりして気持ちの良い国だろう。
(誰もエレベーターの閉ボタンを押さないことには時々イラッとしちゃったけれど。)

カフェに座ると、必ず注文前に「ご機嫌いかが?」と声をかけられる。早口の英語に戸惑っていると、嫌な顔もせず臆することもなく、何度でも繰り返し話しかけてくる。 おおらかな国民性だからだろうか?旅行者に慣れているからかしら?
日本人の”おもてなし”や笑顔の習慣は、世界一感じの良いものだと自負していたけれど、今はどうなんだろう?

「可愛い子には旅をさせよ」

ビーチでサーファーを眺めながらビールを飲み、汗だくになりながら街中を歩いた。ちょっと足を伸ばしてメルボルンでテニスを見た。夜は海沿いのレストランで生牡蠣やステーキを食べ、ビオワインを飲んだ。
でも、一番ワクワクして感激したのは、息子が自分の住む街を案内してくれたこと。

彼が部屋を借りているNew townはシドニーの繁華街から電車で20分ほどの小さな街だ。
表通りには古着屋や本屋、レコード屋が立ち並ぶ。ガイドブックによると、アーティストやゲイが闊歩する、流行に敏感な若者が住む街だそう。
建物には色とりどりのストリートアートが施されていて、散歩するだけでも楽しくて飽きない。

息子はこの街のカフェの2階に部屋を借りている。
語学学校の寮に1ヶ月住み、その後家賃が安くて学校に通いやすいこの街で部屋を探して引っ越したらしい。
本人の話では、夜中にゴキブリの足音で目が覚めることがあるらしい(!?)
洗面所とバスルームは共同で、エアコンもないので扇風機を買ったとか。
電車代節約のためにフリマで自転車を買い、友達とペインティングしたのだと自慢気に見せてくれた。

部屋の下のカフェで軽食を取って休んでいたら、そのカフェと部屋のオーナーだという男性クリストファーに会えた。
私たちが彼の両親だと名乗ると、ひとしきり息子のことを褒めて「あなた達は誇りに思っていい」とハグしてくれた。
この時飲んでいたミルクシェイクの味は忘れない。

選ばなかった生き方に想いを馳せる

実はシドニーに来るのは初めてではない。
新卒で働いていた時に、1度だけ海外出張をさせてもらったことがある。
それがシドニーだった。
わたしが海外にビジネスで訪れたのは、その一回だけだ。

クレジットカードを取り扱う部門の国際企画課に所属しており、主にインターナショナル会議の事務局業務を担当していた。
就職して3年目くらいだったと思う。
それまで、課長や主任が会議のメンバーである役員のアテンドをしていたが、はじめてわたしに白羽の矢が立った。

後から聞いた話だと、社長のご指名だったとか。

それまで、会議に出席する役員たちのために行なっていたフライト予約やレジュメの準備、現地での豆知識情報収集などを自分のために行うことになるのは不思議だった。
先輩たちはとても心配してくれたけれど、若さとは強さだと思う。
冷や汗をかくようなシーンもあったと思うが、全く覚えていない。
各国のメンバーが集い通訳を介して行われる会議や、素晴らしく大きくて洗練されたコンベンションルーム、オペラハウスが見えるレストランで食べたシーフードがうっとりするほど美味しかったこと。不安よりも初めて見る景色に体験にワクワクした記憶しかない。

それから1年余りで、わたしは結婚を機に退職した。

仕事を続けられないほどの理由があったわけではない。
その時の雰囲気に飲まれて、深く考えもせず家庭に入った。

あのまま働き続けていたら、今のわたしの生活はどんなだっただろう。
もしかしたら、秘書室長ぐらいには昇進していたかしら。
結婚生活はどんなだったろう?子供たちは?
どんな友人と出会い、誰と出会えなかっただろう?

久しぶりに訪れた異国で
選ばなかった生き方に想いを馳せる。

後悔がないと言ったら嘘になる。
ただ、そんな自分がいたかもしれないと想像するのは楽しいけれど、具体的には思い描けない。そして、その分実際に過ごしてきた大事な時間が無かったことになるかもしれないと思うと、積極的に過去を変えようとも思わない。

これから先ずっとそうかは分からないけれど、わたしは今、まあまあ自分の人生に満足しているのだろう。

そういえば、コアラもカンガルーも1頭も見なかったな。
それも特に後悔はない。どうしても見たかったら、また来ればいいしね。

#シドニー #旅 #行った国行ってみたい国 #どこでも住めるとしたら #母最高かよ


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