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かんのもどり

 「花冷え」という言葉を知った。春になって桜の花が咲く頃に、少しだけ寒さが戻ってくること、という意味らしい。日本語の奥ゆかしさというか、日本人の感性の繊細さが感じられる言葉だと思った。ようやく春らしい気温になった、また寒が戻ってこないことを願う。

 外に繰り出してみると、春らしい彩りが目に留まる機会が増えてきた。ゆるやかな三寒四温を繰り返した冬もついに雪融けといったところか。私はというと、服屋をめぐってパステルカラーのシャツの前で立ち尽くしたりしている。

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 春、行く先を憂う季節。加減速を繰り返す路線バス、飛び乗ったはいいが、行先はこれで正しかったのか。

 歳を取るごとに、自分の中のなにもかもが、角(かど)が取れて丸くなっていくような感じがする。それは、性格であったり、体型であったり、言葉遣いであったり、勘であったり。

 人間の勘というものは衰える一方だ。今後の人生の分岐点はこれまでの人生の比ではないほどの頻度で降りかかってくる上に、より高度なシミュレーション分析をしなければクリアできないほど複雑怪奇なものになっていく。歳を重ねていく中で知識が増えていくことで先入観にとらわれてしまい、その分岐点を突破するための突飛な発想が次第にできなくなるのだ。

 この複雑怪奇なシミュレーションの計算式を一瞬だけ上回ることが出来るもの、それが"勘"なのだと思う。 説明しがたい超能力のようなもの、黒板を埋め尽くす難解な数式の解に奇跡的に合致する答え、それが勘。

 歳を取ると、その勘に頼ることさえ恐ろしくなってくる。勘の衰えは、自らの内面の老化であり、また生物としての瞬発性の鈍化を意味している。若さゆえの知識のなさを補える若者特有の無鉄砲さのような一面も、勘は兼ね備えていて、インスピレーションが丸くなってくると当然、それを発揮するのは難しくなってくる。

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 今日は暖かかったから、明日はまた寒い日がやってくるだろう。陽気で鈍ったこの勘を、取り戻せるだろうか。

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