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人生の不時着

 年末年始のうちに伸び溜めた髪を切りに行こうと思っていたのに結局行けなかった。時間がなかったわけではないが、「ただちに影響はない」の政治家マインドで余裕をぶっこいているうちに年始休みすらも終わってしまっていた。別にガキ使の放送がなかったことだけが理由ではないが、なんだか年末感のない年末だった。それ以外はいつもと変わらない休日が1週間続いただけの、枯れた花のような年越しだった。

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 人生における最大の選択肢の制約は「年齢」だとつくづく思った。人生の選択肢は無限に拓かれている、と旅人は言うがそれは戯言である。その道を行くためには「若さ」と「諦観」いう2つの通行証の所持が必要大前提であることが軽視されがちだ。

 転職、という道ひとつ挙げても、若さという基準が大きなフィルターになる。職種業種を選ばなければ確かに年齢制限など無いに等しいが、その場合同時に、安泰、安定といった要素を捨てるという「諦観」も必要になってくる。いやいやそうなってくると、若さという要素が同時に兼ね備える「体力」「気力」も侮れないよな…。

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 ハァ、なんで年始からこんなツマンネェことを考えなければいけないのか。年始くらい腹いっぱい飯を食って寝て仕事初めにしっかり備えさせてほしかった。12月に買い込んだ冬服たちをラックにぶら下げてみると、少しだけ部屋が狭くなったような気がする。

 冬はまだ長い、けれど春はもうすぐそこ。毎日必死に生きていれば季節なんかに構っている暇もない。あぁ、私の最終着地点はどこなのだろう。低空飛行の日々から、少し羽休めにと不時着したこの場所から巣立つ日はいつになるか。遠くの空を悠々と飛ぶ鳥たちの群れを、私はこの巣からただただ羨望するしかできない。

 え、2022年一発目のnoteがこんなに鬱屈としてていいの…?


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