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大人になっても、できる!

子どもの頃、大人はもう完成されたものだと思っていた。
運動面では、ピークの高校生くらいから、徐々に落ちていくだけだと思っていた。
でも、幾つになっても、できるようになることってある。
できるようになるって嬉しい。

20代

小学校の教員になったとき、小学生の世界に一輪車などというものが出現していた。
私が小学生のときにはなかった。サーカスの人が乗るものだと思っていた。
でも、小学生は乗っていた。手すりから離れて、平気で校庭のトラックを回っていた。

初めて担任した3年生には、私の赴任と同時に転入してきた女の子がいた。その子の前の学校には一輪車がなかったらしい。早速、挑戦を始めた。
条件は一緒、負けてはいられない。
私も休み時間に一緒に練習を始めた。教師には、子供が帰ってからという裏技?もある。机に向かう仕事に疲れると、ちょっと乗りに行った。
そして、練習を繰り返すうちに、乗れるようになった。校庭にも行けた。
サーカスの人じゃなくても、私でも、乗れるんだ!
大人になってもできるようになることがあるという事実に、びっくりした気持ちを今でも覚えている。そして、同時にワクワクした。「大人」の定義が、私の中で少し変化した。

初任校は島だったので、初めてやってみることがいっぱいあった。
海辺の岩から岩へと、とび移るのが明らかに速くなった。
初めは怖かった足のつかない海でも、平気で泳げるようになった。
サーブもろくに打てなかったバレーボールでアタックまで打てるようになった。
(注:私のいた島では、教員は皆バレーボールチームの一員となり、週1回は夜に
   練習があった。最初は、島から帰りたいくらいイヤだったけど 笑。)
むしろ、10代のときより、挑戦する機会が増えて、私にとって、青春?だった。

30代

2校めの学校に赴任した。
そこでは、竹馬が盛んだった。すごい子は、竹馬に乗りながら、大縄を飛んでいた。
練習すればできる気がしたから、竹馬の練習を始めた。
初めは両手で一つの竹馬を持って、右足だけ長く乗りながら左足をついて歩く。
右をやったら、左。左をやったら、右。と繰り返す。
そのうち、竹馬に片足乗せて立てる時間が長くなってきた。
練習を続けていったら、乗れるようになった。
30代になっても、できるようになることってある。
また、「大人」の定義が変化した。

その後、出産・子育てと仕事に追われているうちに、あっという間に50代を迎えた。仕事柄、体育は教えているので、子ども達と体を動かすことはある。しかし、やってみせようとした逆立ちが一発で上がらない、など「あれ?」ということが出てきた。失敗するくらいなら、見せる意味もないなと思うので、やらなくなる。
ああ、こうやって年老いていくんだなと思っていた。

そんなこの夏、やってみたいものに出合った。
出合いは、偶然だ。
夏休みのうちに、2学期の遠足の下見に行くことになっていた。
仕方ないので、めちゃめちゃ暑い日に、公園に出かけた。目的を果たした後、帰ろうと、木陰を歩いていたとき・・・、綱渡りしている人たちがいた。
話しかけてみた。スラックラインというものだった。
名前は聞いたことがある。
だいぶ前に見たこともあって、我が子が遊ばせてもらったような気もする。
でも、その2つが結びついていない程度の認識だった。

なのに、なぜか、乗ってみたくなった。「試してもいいですか?」
乗ると…、こんなに揺れるの?というくらい、ぐらつく。
綱渡りではなく、ゴムみたい。
「まずは、片足で10秒立ってみるといいですよ。」と聞いて、やってみる。何回かやっているうちに、少し立てた。
「すごい!」とほめられて、嬉しくなる。
スラックラインについて、ちょっと教えてもらった。時々、ここで練習しているらしい。
なんか、やたらとやってみたい気分になっていた。
子育てが忙しい頃は、我が子の習い事には幾つも付いて行ったけど、自分が何かやりたいなんて思う暇もなかった。でも、我が子も私の付き添いが必要な年ではなくなったから、今の私には行ける時間がある。

そして、練習日がやってきた。
行くと約束したわけでもない。知らない人のところへ、この年で行くのも恥ずかしい。そんな気持ちを超えるくらい、やってみたかったらしい。
私は、公園に向かっていた。

「こんにちは。この間、お会いした者です。来てみました。」
その時間帯は、ほとんど人がいなかった。短い1本のラインを独占できたので、1時間ひたすら乗っては落ちていた。
だんだん、立てるようになり、一歩進めるようになり…。
「下を向かない。」「手でバランスを取る。」教えてもらったコツは、一輪車のときと似ていた。
「右だけ。」「次に左だけ。」あ、これは竹馬のときと似ている。ってことは、右足スタートと左足スタートを交互に練習した方がいいな。
息は上がらないのに、汗が噴き出てくる不思議な感覚。
体のどこを使っているのか、よく分からないけど、水筒の冷たいお茶が美味しすぎる!
「あーっ、落ちた。もう1回!」
子どものことも仕事のことも考えずに、自分のことだけを考えて集中している時間は、特別だった。
最高で、9歩進めた。なんだか、嬉しかった。
50代でも、できるようになることがあるんだなと思った。

次の練習日も、「どうしたのかな、このおばさん…とか思われないかな。」と、迷っていたけれど、結局行ってしまった。
また1時間、ひたすら練習した。
最高で17歩進めた。
ただ、できるかできないかではなくて、1歩1歩増えていくから、進歩した気分になれる。
夏休みが終われば、また土日も出勤みたいな生活になるけれど、行けるときは行きたいと思っている。
家で練習できる道具もあるらしい!と、この夏の新たな出会いに、心が躍っている。


夏休みで、普段より心に余裕があったから挑戦できたことだけど、私の中の「大人」の定義は、また変化した。
確かに、ニュースで80代のおばあちゃんが水泳でマスターズに出ていたりするの見たことあったな。
だから、私も、できなくなることもあるけれど、まだまだ、できるようになることがあるのかも。
これから、どんな素敵なことに出合うんだろう?
何ができるようになるのかな?







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