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小学校担任、行くのがつらいと思ったときの心のもちかたバリエーション

状況を客観的に見る

初期は、今起きていることを別の見方で見ることで、気休めにはなる。

①他の職業はもっと楽に生きていけるか。クレーム担当の人の本を読んだ。自分にはできないと思った。相手の受け止め方に関して参考になるところがあった。若い先生は、うどん屋のバイトのクレーマーに比べたら、学校の先生へのクレームはまだ遠慮があるから、平気ですと言っていた。

②「挫折を知らないからね。」と会社で働いている弟に言われて、そんな言い方とも思ったけど、確かに彼らが普段働いている話からすれば、そうも言えるのかもと思うしかなかった。(←本当に弱っている最後の局面では、こういう言い方はNG。)

③家も家族も食べる物も無事にある。もっとつらい人がいっぱいいる。ちょうど2011年でした。日々の新聞には、毎日、震災でどんな目にあったかの取材が何十人も載っていて、どれも涙無しには読めず、全部揃っている私は何とかやっていけるはずと日々思わされた。

④お金のために働く。東日本大震災直後、夫の会社がどうなるかわからない状況でした。月給プラスボーナスを働く日数で割り、半日終わると、「午前でいくら」と考えた。家族を養うというのは働く理由になる。そこで気づいたのは、これまでの私はこの仕事にやりがいを求めていて、労働者としての意識(お金と自分の時間プラス労働を交換している)が薄かったということ。

⑤中学校の生活指導の観点で見る。地方からの転職組の先生方が、東京都の小学生は地元より考え方やものの言い方などが2歳くらい上な気がすると言われたことが数回あり、中学校の生活指導の考え方が有効かもと思って、本を読んだり、区の研修会でも中学の先生の意見を聞いたりした。小学校は学級担任制で一人で受け止めるから、自分のせいという思いが強くなることに気づいた。(この考え方は、5年後に生活指導主任になったときに、荒れた学級を全校体制で落ち着かせる過程で役立ちました。)思春期の反抗に対応する中学の先生はすごい!一番考え方の転換に役立ったのは、「ババアって言われたら、あら女って認めてくれたのね、ありがとう。と返します。」という言葉でした。

⑥異動のために休みたくない。私は、その年、異動の年でした。東日本大震災のときに、夫は何日も仕事で帰れず、私も夜遅くまで迎えにいけなかったので、何としても我が子の保育園等の近くに異動する必要性を感じていました。休むと、異動できなくなるからというのも、粘れた理由。

エネルギーを補給する

心のエネルギーが枯渇してきたときに、助けとなったこと

①役立っていると思える瞬間がある。校務分掌(学校の仕事の分担)で、自分が役に立っていると思えたときに、少しエネルギーが戻りました。夏休みのプール指導で普通に低学年が楽しそうに参加してくれた。学校図書館の担当で作った読書カードが好評だった。担当の委員会の集会がうまくいった。等

②「学級崩壊からの生還」などといった経験談を読む。全国の様々な人が、記録してくださっていることで、自分だけじゃないと思えました。希望が見えました。いつか自分も誰かの役に立てるように、武勇伝を貯めると思って、週案にきちんと記録しようという気持ちになりました。

③自分の頑張りを誰かが気づいてくれる。自分は無力だという気持ちが強くなっているので、こういう時こそ、管理職や同僚からの励ましよりも認める一言が、自分にもできることはあるなとエネルギーをくれました。

④他校の授業などを見る。我が子の学校は穏やかな子が多かったので、学校公開などで、ごく普通の授業で、普通に受け答えがなされている学級や学校を見ることができました。「もう無理かも。」と思い始めていた自分も、まだやれるのではないか、やめることはないかも…と思えました。

⑤体を動かす。夏休みに家族旅行に行く気にもなれなかったけど、夫が子供のために、近場なら行けるんじゃないかと設定してくれた。一学期間、休みの日も学校に行くか家の近くで用を済ませるかくらいで、何をしていても頭からクラスのことが離れなかったけれど、我が子たちと、テニスや卓球をしていたとき、ふと何も考えていない自分に気づきました。「リフレッシュ」という言葉を初めて実感しました。

終えてから思うこと

この1番辛かった1年に学んだことが、自分のその後の教師人生に与えてくれたことです。

①1年は必ず終わる。教師の仕事の良さでもあります。必ず12ヶ月経ったら、児童の学年は変わり、私たちとの関係もリセットされます。何とかやり切るということをこの年に覚えたお陰で、その後もいろいろあった学級を何度か担任することになりましたが、苦しくても、その後は薬が必要なところまでは行きませんでした。かといって、自分はもう大丈夫とは思いません。時代とともに教育現場は常に変化し、自分のバージョンアップが間に合うか不安はあります。

②見ている子はいる。卒業のときに、保護者が手紙を集めてくださいました。その中で、大人しくて最初はいじめられていた男の子や、積極的に目立つことはない女の子、忙しくてほとんど学校に来なかった保護者などから、思いもしなかった感謝の言葉が書いてあったのです。何も言わない子たちの中に、安心して学校に行けるようになったとか前より勉強がわかるようになって自信がついたとか、色々思ってくれていた子がいることに私は、目が向いていませんでした。乱暴な子、指示が聞けない子、態度の悪い子に目がいき、トラブル処理で精一杯でした。もっと、広く見えていれば、自分も元気がもらえて、あそこまで落ち込むことはなかったのに。

③理想は置いといて、目の前の子どもたちと今できることをする。自分が担任するクラスを好きになりきれなかった。こうあってほしいという自分の中の理想と比べて、自分で追い込んでいた気もする。笑えなかった。意識して口角をあげていたけど、作り笑顔? だったと思う。今なら、もっとやりようはあった。比較じゃなくて、目の前の子供達に向き合って、もっと楽しむこともできたはず。この想いは、その後に生かしています。


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