見出し画像

今日書かないといけないこと

 今は10月12日午前9時9分。高専やめる記念日、とでも言うのでしょうか。時間は覚えていないけど、授業が始まる時間から考えると、1年前のちょうど「今」、本当に苦しかったです。でも、やめてからの「あのときから1年経った今」も苦しいです。どうするのが正解だったのか、自問自答する日々です。

 まず、事の経緯を説明します。1年以上前のことからいきます。高専で、入学式に隣の子に自己紹介ができなかったせいで、「誰も知らないところに行ったら喋れるようになるかも」と期待していた私は絶望して、授業に出られなくなっていました。

 高専は進級の基準が厳しいので、夏休みに入る前に、担任の先生から「後期に毎日授業に出ないと留年する」と言われてしまいます。そこで夏休みに、前期分の復習授業をしてもらったりとかして、10月から始まる後期に備えていました。長い夏休みは、毎日のように高専に行きました。

 授業が始まった週は、半分以上の授業に出られて、頑張っていたと思います。それがずっと続けばよかったのに、どこで、何をしてか分からないですが、次の週に糸が切れてしまって、月曜日から、昼までで帰るという異例の事態になります。

 そして12日の火曜日です。記憶では担任の先生は学校にいなかったと思います。教室に朝から行けなくて、廊下にいるとクラスの子たちが助けにきてくれて、リュックを教室に置いてから、私を押したり引いたりしてなんとか教室に向かわせようとしてくれました。私は、申し訳なく思いながら、動けませんでした。そこでチャイムが鳴ります。

 教室の中で号令の声が聞こえたので、助けてくれていた子たちは廊下で挨拶をしました。そのあと先生がわざわざ出てきて、「今チャイムが鳴ったので、教室にいない人は遅刻です」と言いました。書いた通り、高専は進級の基準が厳しいです。だからみんな、走って教室に戻ってしまいました。私は1人、廊下に取り残されて、筆談ノートは教室の中にあるリュックの中だったので行くあてもなく、本当に1人でした。

 そこからは、座りこんでいたら隣の教室で授業をしていた先生が見つけてくれて、車椅子で保健室に運ばれて、次の次にあった歴史にだけ出て、「もうやめてやる」と思いながら帰りました。水、木、金は休みました。

 と、いう感じです。このことがなかったら、今も私は高専にいて、大学受験とかも考えずに、優しい先生たちと、ゆっくり過ごしていたのかなとも思います。

 話は変わって、見出し画像は土曜日に少し書いた、米津玄師さんのコンサートに行ったときの写真です。(会場は撮影禁止だったので外のグッズ販売のところの写真です)そこでも歌われて、私が今一番刺さっている曲があります。「アンビリーバーズ」という曲です。「Bremen」という、結構昔のアルバムに入っています。調べてほしいですが、サビの歌詞を少しだけ。

今は信じない 果てのない悲しみを
太陽を見ていた 地面に立ちすくんだまま
それでも僕ら 空を飛ぼうと 夢を見て朝を繋いでいく
全て受け止めて一緒に笑おうか

 レポートとか授業とかがあって、2時間ぐらいかかりましたが書きたいことは書けたかなと思ったので終わりにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?