映画「コット、はじまりの夏」をみて気付かされたこと
とても静かな作品でした
舞台は1981年のアイルランドの田舎町
大家族の中で暮らす9歳の少女コットが
夏休みに親戚の家で過ごすことに
ただぞれだけのお話し
大きなドラマも事件もない
そこには静かな時間が流れており
優しい気持ちが存在しているだけ
言葉もそんなに多くはない
ちょっとしたコットの表情と眼差し
コットを見守る親戚夫婦の表情と眼差し
そして夏の匂いと風景
それを見ていれば余計な言葉はいらないんだなと思う
自分には2人の子供がいる
10歳の娘と8歳の息子である
妻が客室乗務員のため1ヶ月の半分くらいは家にいない
なので主夫までとはいわないが子供達2人とは毎日過ごしている
それと僕の性格なのかもしれないけど
色んなことを2人に言ってしまってる
言ってから後悔することも多い
言わないで見守ろうとも思う
でも小言やらなんやら言ってしまう
この作品でコットの父親が
ある意味親戚夫婦の対称として描かれている
その父親がいる家族でのコットの居場所
そうコットの居場所がないのである
みている人間としてはコットの居場所がない理由がわかる
僕は2人の子供に対して、家での居場所を作ってあげれているだろうか
そんなことをこの文章を書いているうちに思った
もし居場所を作ってあげれてないとすれば…
言葉はもちろん必要だと思う
でも言葉以上に必要なものがもしかしたらあるかもしれない
そんなことを気づかされてくれた
そんな作品でした
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