俺たちは、無くしてはいけないものを無くしているかもしれない【Tara】3
今日は早津みかん園に新たな仲間が来たので
早津さん手作りのログハウスで歓迎会があった。
世界中何カ国行ってるんだってくらい、
いろんなトコに行っていろんな友達がいていろんなことをしてきた人だった。
その人も面白いからまた今度話したいけど、
今日は歓迎会の中での早津さんのあるお話が印象的だったのでメモ。
・昨日の積み上げ
◆note1本 生産
◆早津みかん園 選別~箱詰め
◆ITnews チェック
太良町は、人口8000人くらいの
佐賀県にある小さな町。
早津さんが20代のころは1.6万人くらいいたらしいけど、
年々人口は減ってるらしい。
無くなってはいけないような気がするもの
太良町には、棚田がいっぱいある。
景観が有名なある場所には、大きな銀杏の木があって、
そこでは平安時代から1000年以上続く祭事も行なわれて「いた」。
人口が減っていくにつれて、棚田が、
ひとつ、またひとつ、減っていった。
そして10年ほど前、ついにその場所で棚田で稲作をする人がいなくなり、
1000年以上続いていた祭事も無くなった。
「1000年も続いてきたことが、俺たちの世代で終わった。」
早津さんのその言葉を聞いたときに、
俺たちはなんか、無くしてはいけないようなものを無くしたような気がした。
とは言いつつ、「無くしてはいけないもの」なんて本当は無いと思う
無くしてはいけないもの
なんて俺らが勝手に思ってるだけで、
本質的にはどうでもいいことであることが多いと思う。
テクノロジーが発展して、
非効率なものとか生産性の低いこととか
無くなって、世の中が合理的になっていくのはごく自然のことだと思う。
だけど、
「無くなってしまってなんか悲しい」
という気持ちは、見過ごさない方が良いと思う。
みんながそう思う訳ではないとは思う。
だけど、なんか悲しいなって思う人もいると思う。
その気持ちは消さない方が良いかもしれない。
俺も、その一人だから、
この話は忘れないように書いておこう。