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本のレビュー② 自省録

しばらく投稿が開いてしまった。読書を怠ってはならないとつくづく思う。少なくとも月に5冊くらいは読めるようにしていきたい。


題目:自省録

著者:マルクス・アウレーリウス

:神谷美恵子

出版日:1956/10/25

本の評価:★★★★☆

概要

マルクス・アウレーリウスは第16代のローマ皇帝でありながら、ストア派の哲学者である。ローマが最も栄えていたとされる五賢帝時代の最後の皇帝である。彼の時代は気が休まることがなく常に戦争や激務に追われていたそうだ。書くことを好んでいた彼であったが、気が休まる時間がなかったせいか残されている書物も自省録を含めて2つほどしかないとされている。この自省録もまとまった時間に誰かに見せるために書いたものではなく、自らの考えをただ淡々と書いたものであるため、飾ったような言葉ではなく、誤字脱字、不明瞭な部分がある。しかし、それを差し引いても人としての在り方や考え方がどのようにあるべきなのかを考えさせられる本であった。

感想

ストア哲学の根源である絶対的な宇宙という存在、その宇宙という存在に対して支配は無理であるが、宇宙の出来事に対してどう反応するのかは選べるという考え方、変えられないものに対しては何もせず常に内面に意識を向けること、自分の中にドグマ(信条)を持つこと、このような考え方は非常に興味深いものであった。次からは印象に残った部分を記していこうと思う。どれも金言ばかりである。


この私という存在はどれが何であろうと結局ただ肉体と少しばかりの息と内なる指導理性より成るに過ぎない。・・・これ以上理性を奴隷の状態におくな。利己的な衝動にあやつられるがままにしておくな。また現在与えられているものに対して不満を持ち、未来に来るべきものに対して不安を抱くことを許すな。

思い起こせ、君はどれほど前からこれらもことを延期しているか、また、いくたび神々から機会を与えていただいておきながら利用をしなかったか。しかし今こそ自覚しなくてはならない、君がいかなる宇宙の一部であるか、その宇宙のいかなる支配者の放射物であるかということを。そして君には一定の時の制限が加えられており、その時を用いて心に光明を取り入れないなら、時は過ぎ去り、君も過ぎ去り、機会は二度と再び君のものとならないであろうことを。

至る時にかたく決心せよ、ローマ人として男性として、自分が現在手に引き受けていることを、几帳面な飾り気のない威厳を持って、愛情を持って、独立と正義を持って果たそうと、また他のあらゆる思念から離れて自分に休息を与えようと。その休息を与えるには、一つ一つの行動を一生の最後のもののごとくおこない、あらゆるでたらめや、理性の命ずることにたいする情熱的な嫌悪などを捨て去り、また全ての偽善や、利己心や自己に対する不満を捨て去れば良い。見よ、平安な敬虔な生涯を送るために克服する必要のあるものはいかに少ないことか。以上の教えを守るものにたいして神々はそれ以上何一つ要求し給わないだろう。

せいぜい自分に恥をかかせたらいいだろう。恥をかかせたらいいだろう。私の魂よ。自分を大事にする時などもうないのだ。めいめいの一生は短い。君の人生はもうほとんど終わりに近づいているのに、君は自己にたいして尊敬をはらわず、君の幸福を他人の魂の中におくようなことをしているのだ。

人間の魂が自己をもっとも損なうのは、自分にできる範囲において宇宙の膿瘍や腫瘍のようなものになる場合である。なぜならば何事が起こっても、そのことにたいして腹を立てるのは自然に対する離反であって、他のあらゆるものの自然はその自然の一部に包括されているのである。次に人間の魂が自己を損なう例としては、ある人間に対して嫌悪の念をいだいたり、または起こっている人々の場合のように相手を傷つけるために、はむかっていく場合がある。第三に、人間の魂が自己を損なうのは快感または苦痛に打ち負かされた場合。第四に、仮面をかぶって不正直に、不真実に、行動したり話したりする場合。第五に、自分の行動や衝動をなんら一定の目的に向けず、でたらめに、関連なしに、なんでもお構いなく力を注ぐ場合。ところがもっとも小さなことでさえも、目的との関連においておこなわれるべきなのである。

何かする時いやいやながらするな、利己的にするな、無思慮にするな、心に逆らってするな、君の考えを美辞麗句で飾り立てるな。余計なおこないをつつしめ・・・

・・・理性と公共精神という善きものにたいして、大衆の称賛とか権力とか富とか快楽への耽溺のごとく本質の異なるものを一切対抗させてはならないのである。全てこのようなものは、たとえしばらくの間我々の生活の中にうまくはまり込むように見えても、とつぜん我々を打ち負かし、道ならぬところへ我々を連れ去ってしまうようなものなのだ。・・・

・・・安らかさとはよき秩序に他ならない。であるから絶えずこの隠れ家を自分に備えてやり、元気を回復せよ。そして(そこには)簡潔であって本質的である信条を用意しておくが良い。そういう信条ならば、これに面と向かうや否やただちにあらゆる苦しみを消し去り、君が今まで接していたことにたいして、なんの不服も抱かずにこれに戻っていけるようにしてくれるだけの力は、充分持っているであろう。・・・つまらぬ名誉欲が君の心を悩ますのであろうか。あらゆる忘却がいかにすみやかにくるかを見よ。またこちら側にもあちら側にも永遠の深淵の横たわるのを、喝采の響きの空しさを、我々の住む所はこの地球のなんと小さな片隅にすぎぬことよ。そこでどれだけの人間が、またどんな人間が、将来君を褒め称えるというのであろうか。であるからこれからは、君自身の内なるこの小さな土地に隠退することを覚えよ。何よりもまず気を散らさぬこと、緊張し過ぎぬこと、自由であること。そして男性として、人間として、市民として、死すべき存在として物事を見よ。そして君が心を傾けるべきもっとも手近な座右の銘のうちに、次の二つのものを用意するがよい。その一つは、事物は魂に触れることなく外側に静かに立っており、わずらわしいのはただの内心の主観からくるものにすぎないということ。すべて君の見るところのものは瞬く間に変化して存在しなくなるであろうということを。そしてすでにどれだけ多くの変化を君自身見とどけたことか、日夜これに思いをひそめよ。

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