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死に直面し、生きがいに目覚める人たち

「やりたいこと」がない子を考える(23)


さて、ここまで「やりたいこと」と生きがいを絡めて考えてきました。
これらは、「快感の再現」という点で共通しており、その意味では連続していました。
しかし、やっぱり「やりたいこと」と生きがいは何か違う気がします。
「カミナリに撃たれたような衝撃」くらいの強い「快感」を感じれば、果たして必ず生きがいに目覚めるのでしょうか。
そう考えると、次の例はどのように説明すればいいのでしょうか。

それは、死に直面した人が急に人生の充実に注力しはじめる、という現象です。
僕の友人は、自動車事故で死にかけてから「自分のしたいことをするんだ」とそれまでしていた仕事をスッパリやめ、海外の会社に就職しました。
神谷美恵子『生きがいについて』の中でも、幾ばくもない余命を告げられることによって自暴自棄になってしまう人がいる一方で、自分の生きがいを見つけ充実した人生を少しでも送ろうと努力する人がいるとありました。
そうして僕も、高校生の時に死を考え、「後悔したまま死ぬのは嫌だな」と感じ、自分の満足する人生を歩もうと決心しました。
このように、それまで無気力であった人が、死をきっかけに生きがいに目覚めていくということはよく聞く現象です。
しかし、何か強い「快感」がそこに存在した訳ではありません。
一体、この現象はどのようにしておこるのでしょうか。
これを考えるために、「時間性」についてみてみましょう。

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