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注意欠陥は、欠陥じゃない。

僕は20歳の時に発達障害であると診断を受けました。
大きく分けて、①ADHD ②ASD ③LDの3つに分かれるのですが、僕の場合は①ADHD(注意欠陥多動性障害)でした。

今思い返せば、確かに僕はADHDだなあ、と思う出来事がありました。

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「丁寧」という言葉の意味を、みなさんはどの様に説明しますか?

僕は昔から字が上手く書けず、「丁寧に書きなさい。」と両親や先生から言われてきました。
「丁寧に書いているんだけどなあ…。」と思いつつも、やっぱり字は汚いのです。

何年か経ち、大学の教育学部に進学しました。
板書の練習をしていると、「もっと丁寧に書きなさい。」とやっぱり先生から言われてしまうのです。
そこで、「字は汚いけど、丁寧に書いていますよ。」とちょっと反論してみました。

すると、

「書くスピードが速いんだよ。もっとゆっくり書きなさい。」

と先生は言いました。
そこでやっと気付きました。

「あ、丁寧に書くって【ゆっくり】っていう意味も入っているんだ。」

と。

僕はそれまで、「丁寧に書く」という言葉を「綺麗に書くつもりでいること」という意味で捉え、言葉の本当の意味にまで注意がいかず、自己完結していたのです。

この様な出来事が、他にもたくさんありました。

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しかし、この特性のおかげで、得したこともたくさんありました。

人前に立って話す時、あまり緊張しなかったり。
他の人がしないようなことでも、気にせずにできたり。
好きな人に振られても、やっぱり大好きだと伝えられたり。

何より、色んなことに感動できました。
大人になって、「丁寧」という言葉の意味を知って感動した人は他にいるでしょうか。

ADHDだったからこそ、今の僕があり、幸せなのだと思います。
注意欠陥は、僕にとっては欠陥なんかじゃない。
なくてはならないものなのです。

世の中には色んな個性を持つ人がいて、僕は人よりちょっぴり目立つ個性を持って生まれました。
だからこそ、世の中からちょっぴり目立って、今はこんなに幸せなんだということを広めていきたいと思います。

そう考えた、今日この頃なのでした。

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