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市場価値


歳を取ればとるほど、自分という存在の"価値"が
分からなくなる。

それは、いい事なのか悪い事なのか本人にしか
分からないが、世間という目で見た時
大半の人は"悪い"と捉える人が多いように感じる。

何故、「自分という価値が何故分からなくなってしまう」或いは迷ったり悩んだりしてしまうのか。

幼い頃は"何かを成功"した時、褒めてくれる人がいる
褒めてくれるからまた頑張ろう!とか
思えたりする。
また、これをできた自分が居たから次もまた
出来るはずだ!と自分に自信を持って言えたりする。
皆がそうではないが、"子供"という枠で見た時
無邪気で、元気いっぱいで、純粋で
イメージしやすい"子供"はこんな感じではないだろうか。

でも、歳を取ればとるほど"褒めてくれる人"は
自然と減っていく。

人間というものは、"褒めてくれる"人がいるから
成長できる。
"褒めてばかりじゃその子のためにならない"
"甘やかしすぎ"とか言ってくる人はいる。
勿論、それも一理ある。けど、"褒める"というのは
本来は、「自分」に自信を付けてもらう為のものであり甘やかすものでは無い。

例えば、テストで満点を取っても
親に褒めてもらえず
自分に対して見向きもしない親が居るとする。
それは、親が悪いのかそれとも親が育った環境が悪いのか"どちらか考えてみる"とするならば
私は、後者を選ぶだろう。
何故なら「親」はそれが「普通」だと思っているからだ。要は、親もそのような環境で育ち
それを、親(叔父、叔母、)に"これが普通"と勘違いしながら育てている。
そのような誤解を繰り返し、実の子供を育てながら
その子にも普通と誤解をしながら育っていく
この文面で見ただけでも"負の連鎖"と言える。

では、自信がないまま社会に出たらどうなるのか
自信を持たずに外に出てみると"私"に、"価値"が無いのでは?等を思ってみたりする。
その原因は、恐らく周りの人が出来てることを
"私はできない"と理解した時に生まれる感情だろう。

ただ、全てがマイナスな事ばかりではないと私は思う。

そう思うのは、その環境の中で育ってきたその子は"判断力"が物凄く
鍛えられていると思うから。
どうしたら、褒めてもらえるんだろう…と考える。
その時点で判断力が培っていく。

自信と言うのは簡単に付けられるものでは無い。

元から"自信"に満ち溢れている人を見ると
"羨ましい"と言う感情を抱く。

自信の付け方を最短で習得使用するならば

"自身のできる所をリストアップする"

ただ、これが簡単そうに見えて実は難しい。


社会は弱肉強食世界だ。 

少しづつ私が私らしく居られる環境を

作っていけたらいいね。



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