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”休む”という恐怖

とんでもなく久しぶりに書きます。特にデータとか出さない、まともに校正もしない眉唾文ですが最後まで読んでいただけたら幸いです。

ここ数日、菅首相の長男による総務省幹部への接待の問題が取り上げられています。その中で、山田真貴子内閣広報官への接待も行われており、波紋を呼んでいます。

この問題はしっかりと追求されなければならない問題であることはもちろんですが、それとは別に山田内閣広報官が若い人へのあるメッセージ動画において、「イベントや飲み会などの誘いを断らずに、チャンスを拾うことが大事」と説いていたのを見て、感じることがあったので意を決して1億年ぶりにnoteに文字を叩き込みます。


この”誘われたら必ず行け”論は、どこか似たようなものが少し形を変えて自分にも身に染み付き、私を蝕んでいたものでもあります。今回はそれが私のどのような体験が影響しているのか、また私個人の経験を通して日本社会における休みづらさにまで飛躍させて書いてみようと思います。

時は10年ほど前、中学生の時の話です。この時私は野球のクラブチームに所属していました。野球は小学校から始めていました。小4の時、キャッチャーに抜擢されました。当初は痛いなあ怖いなあと嫌々なやっていましたが、やっていくとある意味野球の中での特殊なキャッチャーというポジションがどんどん好きになっていったのを覚えています。そして中学生に上がってもキャッチャーを続けていました。

無論、中学生になり、球場や塁間のサイズも大きくなり、またチーム内での競争も激しくなり、レギュラーをとることはできていませんでした。それでも控えでもキャッチャーというポジションでピッチャーの球を受けること、試合をある意味オーガナイズできる楽しさとやりがいを持って続けていました。

この中学生の時に所属していたチームは部活動ではなくクラブチームだったので活動は週末の休日だけでした。そんなある週末、土日丸ごと練習を休まなければならなくなりました。父方の祖父が亡くなり、その葬儀のためです。もちろん大事な家族の死、及びその葬儀です。当然その週末の練習は欠席しました。

問題はその次の週、グラウンドに行った時のことです。シートノックという守備練習が始まる際、防具を装着しようとしていると、今まで別のポジションを守っていた選手が防具を付けていました。そしてコーチから「外野でノックを受けて」とだけ指示されました。先週休んでいる間に別の選手に取って変わられていたのです。ある意味で既成事実かのように。

もちろん他のポジションへのコンバートはよくあることで、新たなチャンスだと捉えることもできるかもしれませんが、ここで私が感じたのはチャンスではなく恐怖に似たような感情でした。自分がいない間に現状を変更され、自分が大事にしてきたものを奪われた感覚でした。

それ以降、”休む”、”欠席する” ということを異様に恐れるようになりました。もし欠席せずにいたら、キャッチャーというポジションを失わなくて済んだのではないか、まだコンバートの意図をしっかりと説明されて納得できていたのではと思いました。

出席したら利益がとかチャンスがのようなポジティブなものではなく、欠席し、その場に自分がいないことによって起こりうる自分への不利益を考えてしまうようになりました。チャンスを掴むため、逃さないためにというより、ただの恐怖心が私の”休む”、”欠席”するという選択肢をかき消していきました。実際にそれは中学を卒業して高校に入ってもそれは続き、大学に入り、野球を辞めた後でも常にその恐怖が私の一部を支配していました。

ここから私個人の話から飛躍してしまいますが、日本社会において休むという行為に対して私と似たような恐怖心を持っている人は少なくないと思います。それは企業における個人の有給取得率もそうですし、男性の育児休暇取得率の低さ(ここ数年は上昇していますが)に現れているのではないかと私は考えてしまいます。

身体的に疲れている時、大事な人を亡くして心が疲れる時など、個人差はありますが、誰しもがそのような時間に直面する機会があるはずです。その際には一度”休む”という選択肢がその疲れや心労を落ち着かせてくれる特効薬になりえます。間違いなく”休むこと”は生活を営む上で大事なことであることを認識すべきです。そしてそれに対して恐怖心や劣等感などのハードルを設けてしまうこと、設けさせてしまう他者や社会からの見えない圧力は知らず知らずのうちに心身を蝕んでいきます。

現代のこの競争社会において”休む”は、ゲームでいうと一時停止ではなく停止そしてリセットという状態になってしまいます。この状態を休むを一時停止にしてまたそこからリスタートできるという環境づくり、つまり休むという行為選択になんのハードルを設ける必要がないことが重要だと私は考えます。

この問題に関しては他にも様々なアプローチの仕方(それこそジェンダー的観点など)がありますが今日のところはここまでで。

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