見出し画像

ドイツ産イチゴで旬を堪能する

私が日本のテレビで好きなものがある。それはNHKニュースの最後に穏やかなメロディーとともに流れる日本各地から届く風物詩のコーナー。特に食べ物の話になると目は画面にくぎ付け、耳もダンボ状態になる。

「旬の**が最盛をを迎えています。農家の**さんのところでは家族総出で収穫、出荷作業にあたっています」ー

殺伐とした出来事がどれほど起きていたって大丈夫、季節は変わらず流れていて自然が豊かな恵みを与えてくれると分かってほっとする。日本で旬の情報を多く目にするのは、海に囲まれた南北に伸びた地形によって山と海と里の幸に恵まれているから、そして日本人の旬を大事にする感性からなのだと思う。

旬てなに?

でもドイツでこういった情報を目にすることが少ない。別格扱いのアスパラは横において、「新じゃがが採れました」とか「(ビールの原料となる)大麦の刈り入れがはじまりました」なんていうのは話題にのぼらない。たまに野菜や果物の横に「新物」という表示がされていたりするけれど、それほど多くはない。全国的に採れるものにそう大差がないせいだろうか、旬という言葉にあたるドイツ語も思いつかない。

いや、そもそも旬ってなんだったっけ?

農林水産省のホームページをクリックして食育のところを読むと「旬=自然の中で普通に育てた野菜や果物がとれる季節や魚がたくさんとれる季節のことでおいしくて栄養たっぷりです」と説明している。もし訳すとしたら「季節もの」を指すドイツ語を当てはめることになるのだろう。

HPをさらに読み進めていくと「旬のものを食べることで自然の恵みや四季の変化を感じてみましょう」と続いていた。
 

よし、該当するドイツ語がなかろうが、おすすめに従ってドイツの旬を堪能しようではないか。

ターゲットは春から初夏にかけてのドイツ産イチゴに決めた。

画像1

イチゴはドイツで人気抜群

ドイツにおけるイチゴの人気は控えめに言っても高い。見かけの可愛らしさと甘さに加えて5、6月という一年で最も美しい季節と結びついているからなのだと思う。

生で食べるのもおいしいけれど、明るい陽射しの下、カフェでイチゴケーキにたっぷり生クリームをかけて舌鼓をうつドイツ人の顔は喜びに満ちている。そして自家製のイチゴジャムづくりにいそしむのはこの時期ならではのうれしい家仕事。

ドイツでのイチゴの一人当たりの年間消費量が約3.6kg(日本は767g)という数字も人気の高さを裏付けている。

画像2


私自身、冬のエジプトやモロッコ産の輸入イチゴには目もくれないが、春先のスーパーに真っ赤なイチゴが並べられるようになると鼻息が荒くなるのを感じる。「イタリア産」「スペイン産」とイチゴ前線がどんどん近づいてくきてもそこはぐっとガマンだ。

そして「ドイツ産」と書かれた赤いカワイコちゃんが山積みになったら闘牛のように突進していく。もうこうなったら歯止めはきかない。余ったらジャムにしようとか言い訳しながら一度に2パック(1パックは500g入り)は必ず買ってしまう。(大抵そのままパクついたりイチゴ牛乳にしてすぐに消費してまうのだけれども・・・。)

そんな牛の突撃が1シーズンに10回ほど繰り返され、私のお腹にはドイツでの平均消費量を優に越えるイチゴがおさまることになる。

画像3

イチゴ屋台で購入する

この時期になるといろんな所にイチゴ農園の販売所が道の脇に立つ。畑はさほど遠くない場所にあるから、採れたてのイチゴを味わうことができる。旅先のクルムバッハでも可愛らしい小屋を見かけたので購入することにした。

売っていたのは上品そうな年配の女性。列にならんで順番がきたので「一パックください」と声をかける。女性は脇に積まれていたイチゴ入りのパックをとってイチゴに傷がついていないかを確認。

次にカラのパックを上にかぶせたので「すぐに食べるので蓋は結構です」と言いかけたのだけれど、どうも様子が違う。上にかぶせた容器が下の容器とぴっちりと合わされてから天地返しされた。

画像4

えっ、これは手品?中からウサギでも出てくるの?と期待しながらじっと注目していると、女性は蓋をとってイチゴの品質確認をはじめた。

ここでようやく合点了解。逆さにすることで上からでは見えない箇所まで彼女はチェックしていたのだ。ドイツでイチゴは透明なプラスチックではなく厚い紙の容器で売られているので、スーパーで買うと白いカビが生えたり、つぶれているの数粒を家で発見することになる。そんな時私はチッと舌打ちしながら、ぱぱっと捨てていた。

このイチゴ屋台で彼女がこうやって手間のかかる作業をしているのはイチゴを育てた人、容器に詰めた人、売る自分、買う人、みんなが嫌な思いをしないでせっかく採れたイチゴを味わってもらえるようにという思いからなのだと思う。買った人には必ず「つぶさないようにちゃんと持って帰ってね」と一言添えていた。

それと気づいたのは他にもこの農園の販売所は出ていたけれども可愛らしいイチゴの手芸作品が飾られていたのはここだけ。イチゴシーズンという限られた短い期間だけれど、お客さんを楽しませようと彼女が自作したのだろうと私は勝手に推測している。こうした心意気は必ず伝わってくるもの。引きも切らず買いに来る人の多さは、売る側に寄せられる信頼の大きさを証明していた。


画像5

イチゴを狩りに行く

さて旬を堪能するには、より新鮮なものを食べたい。それには自分の労力を割くしかないということで、ミュンヘン近くのプールハイムまで人生初のイチゴ狩りに出かけた。

今回のイチゴ狩りにあたっての私のこだわりはマイざる。受付のスタンドで紙の箱を1ユーロ(130円)ほどで購入できるのだが、やはり自然の恵みをいただくからにはなるべくゴミを減らして環境への負荷を減らそうとするのがエチケットってもの。一緒に並んでいる人たちを見回してもマイ容器持参の人がほとんどだった。

はかったザルの重さ(80g)が書かれた紙をもらって畑に入った。日曜日なので子ども連れの家族が目に付く。そっと話し声に耳を傾けると、午後にイチゴジャムを作る計画らしい。娘さんがお母さんにジャム二瓶を作るのに十分な量かと容器を差し出しながら尋ねていた。

画像6

ひたすらイチゴを食べる

生で食べるのを楽しみにしていた私はと鼻息を荒くしつつ、葉をよけて下に隠れている赤い実に突進した。採るそばからポンポンと口に入れる。ひたすら食べ続ける。ひたすら美味しい。

時間制限もないのでたっぷりお腹を満たしながら急くことなく持ち帰るイチゴを吟味することだってできる。余計なお世話だが、私のようなイチゴ好きに長居されたら商売上がったりだろうな、と一応心配にはなった。

でもおいしさに理性は勝てない。食べてはザルに入れてを繰り返しながら、畑を右に左にと移動し、ハンター魂全開でイチゴを追い求めた。熟す時期がずれるよう3種類のイチゴがあるらしいが、違いが微妙に分からない。たぶん食べ過ぎて舌がマヒ状態か。分かるのは太陽をふんだんに浴びたイチゴは種類を問わず甘く美味しいということだけ。いくらでも食べられるような気がしてくる。旬の醍醐味ってこういうことを指すのだと実感した。

画像7


そして自分で畑に立つことでギラッと照りつける太陽も味わったような気がした。今年は5月も下旬ごろまで寒くて雨の多い不安定な天候だったので農家の人もさぞ心配したことだろう。宮沢賢治の「雨にもマケズ」じゃないけどまさに「ヒドリノトキハナミダヲナガシ、サムサノナツハオロオロアルキ」。

スーパーに並んだイチゴを買う時には値段とか見栄えとかしかみていなかったが、こうして苗にぶらさがっているのを見て、よくぞ寒さを耐えて今年のもこの地で実ってくれましたと心から感謝したくなる。


ザルいっぱいのイチゴを持ってまた受付に並んだ。しめて4ユーロ80セント(約627円)なり。たらふくお腹におさめたのを合わせるとなんともお得だ。この畑のイチゴ狩りは7月上旬までなのでせめてもう一回訪れて食べ納めといきたい。それが終わったら、切ないけれどイチゴとは次の春までさようなら。ありがとう、美しい春とイチゴたち。


いや感傷にひたっている暇などない。別の旬が私を待っているではないか。闘牛のごとく再び突進あるのみだ。

 

いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます。よろしくお願いします。😊