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生きる力と歓びをツゲ(常緑樹)のアーチに託して

 タンタタン、タンタタン、タンタタンー白いソックスの足がスキップするかのように小気味よくリズムを刻んでいく。

  ツゲで飾ったアーチを手にした男衆によるミュンヘン名物、「シェフラータンツ」はその昔、ペスト(黒死病)にみまわれたミュンヘンの町の人たちに元気と勇気を与えようと樽職人がひねりだしたマスゲームのような踊り。500年以上の歴史を誇るとされる。
 
 踊るのは7年おきという決まりなので本来は次回の2026年まで待つか、市庁舎のからくり時計の人形の踊りで我慢するしかない。それが急遽、今年5月初旬に行われることになったのは現代のペスト、憎っくきコロナが落ちついてきて、規制もとかれるようになってシェフラータンツにこれほどふさわしい状況はない、ということでお上(バイエルン州首相がお願いしたらしいデス)の肝いりで特別に4日間限定で開催される運びとなったのだ。

下段がシェフラータンツのからくり人形


 このとっておきの機会を逃す手はない。私もシャッターをバシバシ切りながらとっくり、じっくりと見てきた。

【午後5時45分、開始予定時刻まであと15分】

 午後6時にスタート予定の会場はミュンヘン中心部、ビクトリアンマルクトから路地に入ったところにある小さな広場。その一角にある老舗レストランのテラス席に陣取るは「ミュンヘン・ビール文化保存会」の面々で、シェフラータンツを招いたホストでもある。

 私も含めて広場に続々と集まってくる見物客は保存会のメンバーではないにも関わらず、ダンスのお相伴に預かれる。なんともありがたい、保存会のみなさんビール腹(失礼!)、じゃなくって気前よく太っ腹だった。

 木の下に腰掛けて待っていたおじいちゃんは地元のラジオ局の人に「コロナがようやく収まってくれたからね、どうしても見に来なくっちゃと思ったんだよ」とうれしそうに答えている。

 会場はどんどん人で埋まってかなりの密。なれどマスクをしている人はなく、まるでコロナなど存在しないかのような光景だ。

前市長の挨拶に耳を傾ける見物客のみなさん

【午後6時10分】

 予定時刻の午後6時を過ぎてもまだ始まらない。この日は特別限定期間の2日目で計5回、場所を移動して踊ることになっている。舞の後には酒や食事が踊り手たちに振る舞われるのがつきものだからどうしたってスケジュールに狂いが出てくる。

 でもプロのイベントじゃなくって庶民の芸能なのだからそれもご愛敬。うれしい、めでたいイベントにイライラする人などどこにもいない。みなのんびりと構えている。

 それでもまだかなまだかな、と思ったところで特別ゲストとして招かれていたミュンヘン前市長が挨拶に登場した。「私が子供のころにも学校にシェフラータンツが来るっていうんで待っていたんですけどね、その時は40分の遅刻でした。待ち時間は授業がないっていうんで私ら子供たちはみんな大喜び。今日もシェフラータンツとともに遅刻の伝統もきっちりと守られていることがしっかりと分かりました」との一言で会場がドッと沸いた。

【午後6時25分 踊り手入場】

 楽隊が陽気な音楽を奏でるとともに騎手を先頭に踊り手、道化師2人、タガネを回す人の一団が手を振りながらようやく登場した。ミュンヘンのマスコット、ミュンヒナーキンドルも一緒だ。踊り手は緑色の帽子に真っ赤な、上着、皮エプロンと黒い膝丈ズボンをまとい、黒いペスト帯をたすき掛けしている。


待ってました選手入場!じゃなくって踊り手入場!

 顔だけ見ていると本当に普通のおじさん、お兄さんたちばっかり。でもお揃いの衣装をパリッと着こなし、踊る使命感に燃える男性たちはお腹が出ていようが、ひげ面だろうが、みなさん五割増しでかっこよく見える。 

 元々は独身かつミュンヘンに2年以上住む樽職人だけが踊ることを許されていたのが、木製樽の需要が減って職人数が減ったのが原因で1960年代にその伝統は崩された。ミュンヘンで木製樽を製造しているのはもはや一カ所しかない。なので今では間口を広く有志を募っており、本職の人もいれば銀行員、管理人などなど多彩な顔ぶれが踊りの歴史を支えている。


【午後6時27分、ミュンヒナーキンドルの前口上が始まる】

 踊り手が円陣を組んだ中に小さな樽が運ばれ、ミュンヒナーキンドルがその上に立って前口上を述べ始めた。ちょっと耳を傾けてみよう。

ミュンヒナーキンドルによる前口上

ミュンヘンがまだ小さな町だった500年以上も昔のこと。記録には「町をペスト(黒死病)が襲い、町民の約3分の1を道連れにした」と残されています。商いも交通もストップして町は閑散として寂れ、人々は悲しみと不安と恐怖にとりつかれ、家から出ようとしませんでした。
そんな時、樽職人たちが一計を講じたのです。元気で人情に厚き若き職人たちは、樽と花輪を持って町中を練り歩き、家に閉じこもる人々を踊りへと誘い出したのです。そうして新たな勇気をもらった人々はペストの不安と苦しみを乗り越えることができたのです。

ヘルマン・ロート作

【午後6時半、楽隊の音色とともに踊りがスタート】

 口上が終わるや否や、丸く並んでいた踊り手が一人おきに円陣の一歩前へ足を踏み出した。そして旗とモップの先っちょのようなものをそれぞれ手にした2人が足を動かし始めた。

 ひざを腰の高さほどにあげ、下ろした足先が地面につくと小さくもうワンステップ。お次は反対側のひざをあげて同じように2ステップ踏む。

足並みそろえてタンタタン

 タンタタン、タンタタン、タンタタンと横の人も次々とリズムを刻みはじめ、旗手を先頭に左右二手に分かれて数珠繋ぎのように踊り手たちが次から次へと高く掲げられたツゲのアーチをうねうねとくぐっていく。これは「ヘビ」のフォーメーションと呼ばれるもので、「ペストの虫」がへびのごとく動いて町を襲う様子を表現しているらしい。

 そして「ヘビ」に続いて全員が渦のように小さく集まった(超密でございます!)「小屋」のフォーメーションへと変わる。これは人々がペストをおそれて家にこもる様子を表わしたもの。


超密な「小屋」のフォーメーション


 この間スキップのごときステップがずーっとずーっと続く。なんてことないだろうって思う人は自分でやってみてほしい。簡単そうに見えて、とぎれることなく全員で足並みを揃えながら同じリズムを刻み続けるのは容易ではない。

 ピンと高い位置まで足があがる若者もいれば、リズムを合わせるだけで懸命な人もいる。でも顔を赤くしながら懸命に足を動かす姿はとびっきりカッコイイ!そうして小屋はツゲのアーチを頭上に正方形に組んで完成した。


【踊りは「十字」と「王冠」へ】

 固まっていた踊り手たちがササッと離れてお次は素早く「十字」のフォーメーションへチェーンジする。十字はペストによって一層強まった信仰と希望の象徴だ。
 
 踊りの合間に道化師たちが見物客の間を回って鼻にちょんと触っている。最前列に立っている私の鼻にもちょんと来た。何か知らんと思ったら黒いクリームがついている。これはどうやら縁起のよいものらしい。

 うれしいなあ。コロナ真っ盛りのころにはとても想像できなかった人と人との温かい距離間が復活している。見知らぬ人と互いの黒くなった鼻先をみて大笑いできることが心からうれしい。

 そうしている間に踊りは昔のミュンヘンの統治者だったウィッテルスバッハ家を象徴する「王冠」へと移っているところだった。アーチの丸みと真ん中に高く掲げられた棒できちんと王冠が表現されている。

王冠のできあがりー


【ツゲに注目】


 さてここで大事な小道具であるツゲのアーチに注目してみたい。私が最初にシェフラータンツを生で見たのは2012年1月(通常、シェフラータンツが行われるのは1月6日~ファッシング直後までと決まっている)で、その時のアーチはトウヒで飾られていた。

 それが2年前に市庁舎の建物にあるシェフラータンツの彫刻を写真を撮っていた時に、葉っぱの形が丸くってどうも針葉樹のものではないことに気づいたのだ。

網がはられて見えにくい。。。けれど葉は丸い


 植物のことになるとどうにも気になる。さらにそこから十メートルほど先にある、かつて樽づくりの工房が並んでいた通りに向かった。通りの入り口にはその歴史にちなんでシェフラータンツの人形が歩行者を見下ろしているが、やはり手にしているのは少なくとも針葉樹アーチではない。

ここにもいました踊り子さん


 さっそく本と、シェフラータンツ専門協会のホームページで確認するとツゲの葉のアーチを持つと書かれている。ただなぜツゲの葉なのかについてはどこにも言及されていない。

 なのでこれは多少の推論になってしまうのだが、シェフラータンツの生まれた背景を考えると、ツゲの持つ特徴とシンボル性が深く関係しているのだと思う。

 動物の形をしたトピアリーや花壇の縁取りとしてよく使われるツゲは放っておけば高さ8メートルぐらいまで伸びる正真正銘の木だ。成長はゆっくりめ、ただ刈り込みに強く、切ったところからすぐに枝分かれした新芽が萌え出し、冬も緑の葉が落葉することはない。

 それにツゲの木材はその硬さから高級材とされる。


ツゲで花壇を縁取るのはよくみられる風景

【ツゲは不死のシンボル】

植物の持つ象徴性を取り上げた本にはツゲの項で

不死、死と生、忍耐、健康、愛への忠誠、愛の痛み、キリストによる永遠の生、慈悲、冷静

「植物が象徴するもの」(マリアーネ・ボルヒャルト著)

とあった。

 ツゲの持つ強靭さに昔の人は不滅の願いをこめたのだろう。

 この点についてシェフラータンツが終わったときに踊り手の一人に聞いたところ、「ツゲが持つ不死というシンボル性の説もあるけどトウヒに比べるとツゲは長持ちするんだよ。なんせ1シーズンに100回以上使うとトウヒはボロボロになる」のだそう。

 まあトウヒにもまた「強さ」と「希望」というシンボル性が中世のころからあったのでトウヒもまたシェフラータンツにそれはそれでふさわしいのだけれども。

【生きる歓びをツゲに託して】

 いよいよ踊りは終盤に。五人一組で輪を作り、できあがった4組が回りながら行き交う図は、疫病が収束するとともにまた生活の歯車が回り出したことを表している。

 そして大きな輪に戻って樽が運び込まれ、道化師ら3人が音楽に合わせて樽をカンカンとリズミカルに叩き出すと踊り手は隣の人と向かい合い、アーチを大きく左右に振って、また次の人ともアーチの挨拶を繰り返していく。これは一人一人がそれぞれの生活を取り戻したことの表れ。ダイナミックに動かされるツゲのアーチには生きる歓びが込められている。

樽を打つ軽やかなリズムは日常が戻ってきた証


 そして樽を叩く動作は日常が戻ってきた証であり、それはとりもなおさず仕事に戻るということでもある。働かざる者、楽しむべからず、ということらしい。

 世界史の年表で読み飛ばしていた「この頃ペストがヨーロッパで流行る」の一文の意味が今ならよくわかる。何度も何度も襲う疫病で家族を次々失い、絶望の中で苦しんだ人たちのドラマがあったことが。そして樽職人たちの踊りでどれほど心が慰められたことだろう。

「ちょっと持っといて」とアーチ係をおおせつかりました

【午後7時前にお開きに】


 最後は樽づくりに欠かせないたがねを回す曲芸で締めくくられる。ただの輪っかではない。小さなコップが付いていて、その中には蒸留酒が注がれており、それをこぼさないように回す余興なのだ。

 そしてすべてが無事に終了し拍手喝采の中で踊り手たちが退場し、お開きとなった。
 
 今回の特別限定公演には戦争に対する抗議の意味もあった。コロナと戦争は、私たちに生と死は常に隣り合わせにあると訴えかけてくる。

記念バッチを買いました!

 さあ今宵はシェフラータンツの余韻に浸りながら生きていることへの感謝に杯をかかげよう。
      平和と健康を願ってさあ乾杯!



最後に・・・。
この文章までたどり着いた方、お疲れさまでした。よくぞこの長文を最後まで読んでくださいました。長いわね、スクロールに疲れて途中で閉じた方もいらっしゃったかと思います。私も自分で推敲しながら、これはSNS向きの書き方じゃないぞと葛藤していました。
なのでそれだけ余計に、忍耐強くつきあってくださった方に感謝です。
これに懲りず、またよろしくお願いします。

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