見出し画像

七草のグリーンソースはフランクフルトの味


春になったら「フランクフルト流グリーンソース」を作るぞー。そんな決意を暗さと寒さで心がくじけそうになる冬まっただ中の12月に固めた。グリーンソースはハーブを細かく刻んでサワークリームやヨーグルトといった乳製品と混ぜて、マスタードや酢、マヨネーズなどで味付けたもの。茹で卵や茹でジャガイモと絡めるのが一般的なドイツの食べ方だ。

グリーンソースそのものはこれまでにも食べたことはある。でもフランクフルトでは郷土料理の代表格、よその地域にはないこだわりを秘めていると知って以来気になっていた。それに春を待ちわびる気持ちが拍車をかけての決意である。

だが気持ちがはやろうがなんせソースの主役である新鮮なハーブは、復活祭直前の「緑の木曜日」あたりからでないと出回らない。今は我慢とじっと冬を耐え、ソースづくりスタートの号砲が聞こえた(ような気がした)3月の春分の日にフランクフルトに旅立った。

画像7

フランクフルトは不思議な街


これまで幾度となく駅を通過したり、乗り換えで立ち寄ったり空港を利用したことはあっても、フランクフルトを旅の目的地にしたのはこれが初めて。国のほぼ真ん中に位置し、ドイツの金融、商業の中心地といわれながら首都どころかヘッセン州の州都ですらない(州都はヴィースバーデン)街は不思議さに満ちている。


駅から一歩出た瞬間シュッと空に伸びた銀色の高層ビルの群れが目に飛び込んでくるのだが、その下を見ると19世紀後半~20世紀初頭にかけて作られた重厚な建物がデデーンとコントラストを作るかのように座っている。

中央駅で乗り換えた地下鉄とトラム内はドイツ語の会話がまるで聞こえてこない。私の心の中は「ここはドイツ。それもドイツを語るうえで避けては通れないゲーテさんの故郷なのにドイツ語はどこへいった」と叫びだす。

後で調べるとフランクフルトにおける外国人住民の割合は全国でトップクラスの30%超とのこと。お隣のオッフェンバッハ市だと43%にのぼる。もちろん大半がドイツ語も通じる外国人だろう。私自身、自分の子供と話すときはどこにいっても日本語なわけで、ゲーテが知ったら「お前が言える筋合いか」とツッコまれるに違いない。

それでも住み慣れた国の中にいるはずなのに、意思の通じない別の空間に放り込まれたようで、国とか既存の概念の通じない未来都市にいるような不思議な気持ちに陥った。

画像8

ソースのゆりかごオーバーラート


不思議な感覚のままグリーンソース駅に着いた。じゃなくってミュールベルク駅。トラムに乗り換えるべく階段を上っていくとハーブを描いたカラフルな壁画がいきなりどんと目にとびこんできた。

壁画の横では雨除けの工事をやっていたのだが、こちらも緑色の透明なアクリル樹脂の屋根で温室をほうふつさせるようなデザインだった。


このミュールベルク駅からマイン川に沿って西側一帯のオーバーラート地区は、グリーンソースのもとになるハーブが育つ「ゆりかご」のような場所。それに合わせての様々な趣向で、いつか本当にグリーンソース駅に改名されることがあっても驚かない。

画像2


トラムの窓からのぞくと畑がずっと広がって、ビニルハウスがぼつんぼつんと点在している。春まだ浅い頃なので茶色い土がむきだしになっていて、ところどころに何かが植えられているような緑色の筋が見える。


4駅目のブライワイス駅で「グリーンソース記念碑」を見るために下車した。とてもベジタリアンなグリーンソースなのになぜか記念碑のある場所は「ベーコン小路」。そんな逆説的な偶然を面白がりながら、小路を下りて行くと「グリーンソース記念碑」に到着した。

記念碑と聞いて何も知らなければ拍子抜けしただろう。7つの温室の形をしたハウスが並んでいて、それぞれのハウスの中にハーブの名が書かれたパネルが床に敷かれている(だけ)。いや、芸術とは凡人の理解を超えるものだからあえて評価はするまい。


最初のハウスのパネルには「ボリジ」。それから「チャイブ」、「サラダバーネット」、「チャービル」、「スイバ」、「ガーデンクレス」、「パセリ」と続く。めでたくフランクフルト流グリーンソースの主役、七人組が揃い踏みといったところ。


フランクフルト流グリーンソースが他の地域のと一線を画すのは何よりも使われるハーブがこの7種類に限定されているという点にある。その反面、作り方に決めごとはなく刻んだゆで卵をソースに混ぜたり、刻む代わりにブレンダーで細かくしたりと10家庭あれば10通りのレシピの味が楽しめる。

出発前にオッフェンバッハ市出身の同僚のF氏に本場仕込みのグリーンソースを教えてもらおうと聞いた時も「フランクフルトと名がついたのにはウイキョウも入れないし、ラビッジなんて匂いがきつすぎてもってのほか」と何度も力説された。けれどレシピをくれたときは「あくまで我が家の味だから好みに合わせてアレンジしたらいい」といった具合だ。

画像3


見渡すと周りには畑が広がるだけでなくコンテナ型の鶏舎が設置されていて、鶏がなにかをついばんだり、ウロウロ歩き回っている。

でものどかだな、と思ってるとひょいと遠くには高層ビルのスカイライン。空を見上げれば空港に向かって次々と降りていく飛行機があり、畑の脇を特急列車ICEがすっ飛ばしていく。まるでタイムトンネルの中にいて違う時代の光景をちらりちらりと見せられているような気分だ。

画像5


畑で一番最初にスイバを見つけた。寒風に負けず旺盛に葉が茂っている。また少し歩いて次に見つけたのはチャイブ。男性二人組が細いチャイブを刈って束にしている現場に出くわした。

さらに落書きだらけのビニルハウスがあって破れ目からチャービルのような葉もちらっと見えた。残りの4種類は見当たらないが、全種類が出そろうには季節はまだ早すぎるのだろう。ゆりかごを後にすることにした。

画像7

「文豪ゲーテも愛した」グリーンソース


トラムで戻った市の中心地で高層ビルをボディーガードのように従えたゲーテ(の像)の出迎えを受けた。文学はいうまでもなく、政治家であり、色彩学、鉱物学と多才だったゲーテはフランクフルトのグリーンソースを有名にした立役者であったりもする。

グリーンソースの生みの母がゲーテの母だった、という説があるのだ。そのため「文豪ゲーテも愛したグリーンソース」ともっともらしく形容されたりするのだが、それを裏付ける証拠はなにもない。


ゲーテ説懐疑論者の言い分はグリーンソースのレシピが料理本に初めて登場するのは1860年という事実と、全てに一家言あったゲーテ(1749-1832)が何も書き残していないのはおかしい、というものだ。納得しつつも、親から子へと食卓で受け継がれる家庭料理の扱いなんてその程度のものじゃないのかと思う。それに食べるものが限られていた時代には春の野で摘んだハーブを摘んで一品に仕上げるのはどの家でも必然的な当たり前の知恵としてみなされていただろうと反論したくなる。

だから真偽を問うよりここは大好物だったというゲーテ説もフランスのユグノーがもたらしたという説も、イタリア人から伝わったという説もすべて併存させておくのが、あらゆるものが混在するこの街にふさわしい気がする。

画像6

フランクフルトを名乗っていいのはフランクフルト産だけ


市内何箇所かで開かれていた市場を巡って、白い紙に赤ちゃんのおくるみのように包まれたハーブセットを買った。他の地域ではブーケのようにゴムで縛ってあるのが主流だが、こうやって紙で包まれているのはフランクフルトならでは。くるむことで葉の乾燥を防ごうという心遣いを感じる。


ただ今回購入したセットの包みには「フランクフルト」という文言が書かれてない。というのもフランクフルトを名乗っていいのは、ハーブすべてがフランクフルトおよびその近郊の市町村で栽培されたものだけ。

欧州連合(EU)の地理的表示保護制度によって縛りがかかっているので、例え一部であってもハーブが輸入頼りになる春先などはフランクフルトの名で売ってはいけないのだ。

買ってすぐに包みを開けてみた。かさばるパセリを取り除き、酸っぱいスイバをかじって味見する。ボリジはざらざらした葉が特徴なので手触りで分かる。カイワレ大根のような辛みのあるのはガーデンクレス。ガーデンクレスは元々はクレソンが使われていたようで、清流がなくなって取って代わられたようだと同僚F氏が教えてくれた。

西洋アサツキとの別名もあるチャイブも判別しやすい。残る二つのハーブはともに小さく、ぎざぎざが入った葉が若干区別しづらい。だがチャービルは少しパセリのような風味。日本でなじみの薄いサラダバーネットはドイツだと道端にも生えている野草で、土臭い味わいがする。

ちなみに1860年に初めてグリーンソースのレシピが載った料理本ではボリジ、パセリ、チャイブ、チャービル、ガーデンバーネットに加えてエストラゴンの6種類でスイバの名はなかった。


それにしてもこれだけか形も味も香りもちがうハーブを選抜した理由はなんなのだろう。「7種類いずれも冬にたまった老廃物を流すデトックス効果がある」との記述を読んだ。確かに根菜が主流だった冬から新鮮な葉物を口に出来るのは気持ちだけでなく体もうれしい。

画像4

フランクフルトはグリーンソース


白い包みを2パック抱えてミュンヘンに戻る時間になった。その中央駅に向かうとき偶然にフランクフルト名物の運転士ペーター・ヴィルトさんのトラムに乗り合わせた。(その名前と、老客男女問わず、乗客をご機嫌な気分にさせることが大好きな有名人ということはあとで知ったのだけれども・・・)


白髪にカールラガーフェルトばりの黒いサングラスをかけて、道行く女性から投げキッスをもらったり、乗っているこどもに自分の似顔絵のついたエコバックをプレゼントする彼は何者だろうと訝しがっていたら、雨が強くなりだしたところで車内アナウンスがはじまった。

「今日は雨模様だけど、来週は晴れの予報ですよ。雨を液体になった太陽の陽射しと思って胸の奥深くにしみこませてごらんなさい。そうすれば雨の日でも幸せになれるから」。ちょっとキザ。でもこの一言で車内の空気が和んで乗っている外国人客もドイツ人客もみんなに笑顔が広がった。
 

この状態ってもしかしたらグリーンソースなのかも、とふと頭をよぎった。種類もみかけも味もまるで異なり、なぜワンセットになっているか分からないハーブは出自も国籍も違う乗客の私たち。異なるハーブがクリームやマヨネーズによってまろやかにひとつにまとまってグリーンソースになっていくように、乗客は、サービス精神旺盛で、おしゃべりが好きで大らかというフランクフルトっ子気質を絵にかいたようなベータ―さんの言葉で柔らかい気持ちを持った一つの集団に変身した。


1種類だけでなくさまざまなハーブが混じって複雑な風味を出すグリーンソースは代わり映えのしない卵やジャガイモ、またはシュニッツエル(カツレツ)に新たな味わいを与えてくれる。フランクフルトもまたいろいろな人や建物や風景が存在しながら、ドイツ的な秩序の下にまとまって独自の特色を醸し出している。そしてそんな都市もあるからこそドイツという国もまた味わい深いのではないだろうか。

そんなことを思いながら春一番のグリーンソースを味わった。


白い包みに「ゲーテの好物料理ーグリーンソース」の作り方が印刷されていました。せっかくなので紹介しておきます。
①ゆで卵2個、ピクルス1本、タマネギとハーブを細かく刻む。②すりおろしたニンニク一かけとマスタード(スプーン2杯)、塩、こしょう、レモン半個の絞り汁とすりおろした皮を高脂肪のサワークリームとマヨネーズを合わせて①の材料と一緒に混ぜれば出来上がり。

いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます。よろしくお願いします。😊