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森の巨人は樹齢600年のヨーロッパモミ

「長く生きることを許された木を見たい」ー。

ワイデンタールという所で用済みになったクリスマスツリーを投げて競うという話題をテレビで目にした時、心の中にいやな予感がかすった。
「なぜツリーを投げる?…」

気になってインターネットで調べると、「2007年から始まったイベントで1月13日にこどもたちがツリーにつるされたお菓子を外してツリーを燃やすスヴェーデンの聖クヌート祭りにならったもの。さらには某大手北欧家具会社のCMでアパートからツリーを道に投げる映像にインスパイアされた」と続いている。
ここまで読んで本格的にイラっときた。

これはまだ捨てられて日が浅い。後にもっと無残な姿になる


ドイツでクリスマス期間といえば年が明けた1月6日の3王の日まで。その翌日あるいはそれ以前からお役目ごめんとなったクリスマスツリーが町の各所に設けられた集積所に山積みにされる。すぐに運んでいかれるわけではなく、数週間ほどは放置されたまんま。その間に子供たちからは足蹴にされるわ、枝を折られるわ、またある時は除雪剤にまみれといった具合に大事にされていたはずの木は無残な姿と化すのだ。

窓からのぞくクリスマスツリー

冬の街を彩るツリーは本当に美しい。明るく優しい光を放つ姿は平和そのもの。だからほんのひと時の楽しみであってもクリスマスツリーを買う気持ちは良くわかるし、時が過ぎれば邪魔になって捨てられるのも仕方ない。それに最終的にはバイオマスの原料にされたり、集成材に加工されたり、コンポストにされたりと決して無駄にはならないから、とまでは思っている。

だけど大の大人が面白半分にツリーを投げるっていうのはなぜ?しかもクリスマスという特別な行事に貢献してくれた木というのに。。。。

思わずちゃぶ台をひっくり返しそうな心を鎮めて、 その真反対に長く生きることを許された木を見に行くことに決めた。

ドイツ側の終着駅”Bayerisch Eisenstein"


◎チェコ国境沿いの駅に降り立つ

霧が立ち込める11月下旬に降り立ったのはドイツ南東部のチェコとの国境沿いに位置する「バイエリッシュ アイゼンシュタイン」駅。ドイツ側はここが終着駅。向かい側のホームにはチェコ語で”Železná Ruda-Alžbětín”という駅名が書かれていて、列車を乗り換えればこの先もチェコを旅することができる。

手を伸ばせば届きそうなところに別の国があるという不思議さ。国境なんて単に人間の概念にすぎないことを地続きのヨーロッパは教えてくれる。

向かいはすでにチェコ領

◎バイエリッシャーワルトはドイツ初の国立公園

ここから目指すのは1970年にドイツ初の国立公園として認定されたバイエリッシャーワルト("Bayerischer Wald")だ。チェコとの国境沿いに細長く伸び、約2.4万haの広さ。もちろん森が国境でパチンと途切れているわけはなく、チェコ側にはさらに6.9万haのスマヴァ国立公園が続いており、合わせて欧州最大の連続森林地帯を形成していてこの一帯は「ヨーロッパの緑の屋根」とも呼ばれる。

今でこそ森を通じて両国間を自由に行き来できるが、東西冷戦の時代には国境沿いに鉄条網がはられ、森の中にはNATO(北大西洋条約機構)が東側の通信を盗聴するために通信傍受施設が建てられていた。(その施設跡は今も残っている)

ドイツーチェコにまたがって豊かな自然が残る

そのような時代を経て、豊かな自然ときれいな空気を目当てに訪れる観光客は今や年間130万人をこえるまでになった。春夏秋はハイキングやサイクリング、冬だってクロスカントリースキーを楽しむことができる。だがさすがに11月下旬は完全なオフシーズンだった。駅前のお店も休業していてほとんど人がいない。寒さと静けさに包まれながら森に向かって自転車を漕ぎ出した。

◎「自然を自然の手に委ねる」


落ち葉の道を走っいくと両脇にはパキッと折れた木や他の木によりかかっているようなのも目に入る。無造作というのか無秩序というのか、そんな状態。その答えはバイエリッシャーワルトのスピリットともいうべき管理方針にある。それは「自然を自然の手に委ねる」ということ。具体的にいうと 例えば木が風雪で倒れても撤去しない。倒れた木もまた鳥の営巣地となったり、菌類の育つ場として次世代へのバトンタッチの手助けになるという考え方である。

そうやって人間が介入しないネーチャーゾーンはバイエリッシャーワルトの約72%を占める。ここでは動植物の営みが自然の流れに任され、最終的には原生林の状態が復元されることを期待されている。

おじいちゃんに乗っかる孫たち

自転車から見える光景にもありのままの自然の美しさと循環が感じられた。倒れた木の枝がきれいなカーブのアーチを作っているのもあれば、おじいちゃんの上に孫たちが乗っかってるかのようにもみえたりするユーモラスな木のコンビネーションもあった。

自然が折なす造形美

また根っこをむき出しにして倒れているトウヒの大木も何本か目にした。

倒れたトウヒ

この写真のトウヒが倒れた理由はどうかしらないが、バイエリッシャーワルトではキクイムシによるトウヒの大量枯死が大きな問題となった経緯がある。本来ならば被害にあった木を焼却処理し、助けられそうな木には殺虫剤を撒くというのが常套手段だが、ここでは何の対抗手段もとらず自然の手にゆだねることにしたため、屍のような木が並ぶ姿に人々がショックを受け、反対運動が起きたのだった。

結局、枯れた木に守られるような形で新しい木がゆっくりと育ち、自然な形で森が再生していく過程が観察されたことで管理方針の賛否を巡る論争に終止符が打たれた。自然の持つ力を信じ、辛抱強く見守ることでその正しさが証明されたことになる。(とはいえ、バイエリッシャーワルトに隣接する森の林業を守るため周縁部ではキクイムシを駆除する対策がとられている)

◎太っちょモミに見参する

道に迷いながらも1時間半ほどかけてようやく目的地についた。


目の前に威圧するように立つヨーロッパモミは”Hans-Watzlik-Hain”(38ha)という一角に生えていた。体の大きな人がその身長を背を丸めて隠そうとするのではなく、反対にその高さを誇るかのように背筋をピンと伸ばしたようなたたずまいのモミの姿に一目で圧倒された。
 
幹回りは約6.8m、高さ52mで樹齢600年を越えると推定される。ヨーロッパモミの寿命が長くて600年というからなかなかのの長老様ということになる。

そのたくましい幹の太さから頂戴した名は「太っちょモミ」("Dicke  Tanne")。太いというより恰幅がいいと表現してあげたいが、モミの木としてはドイツで一番の太さを誇るから栄誉ある「太っちょさん」なのだ。

よし、ここでお決まりの木に抱きつき作戦開始。太っちょさんの根を守るために作られた木製デッキを歩いて近づいた。失礼します!とことわってからヨーロッパモミの特徴である灰白色の幹をがしっとつかんでハグする。ほっぺたにひんやりとした冷たさが伝わってきた。看板の説明だと大人五人が手をつないでようやく幹を一回りできるらしい。

太っちょさんに抱きついてみる

上を見上げても葉まではかなり遠く、ちょぼちょぼしている感じ。人間の髪の毛が齢とともに少なるのと同じだな、なんて思う。

下から見上げた

◎森は生きている


ひとしきり眺めたり、触ったりしてから太っちょモミの周りを散策してみた。人の気配はどこにもなく、鳥の声が聞こえるだけの、静寂な世界。時折自分が踏んだ枝や枯れ葉の音に驚くが不思議と怖くはないのは植物の鼓動が聞こえてくるような気がするからかもしれない。

あたりを見回すと光沢のある茶色いブナの葉のじゅうたんの上に葉を一生懸命広げて世代交代をアピールする若い木がいたり、木の幹がまとう白い地衣類はあたりを照らすかのように明るい。足元に宮崎駿監督のアニメに出てくるような白い精がポンポンと跳ね回っていてもおかしくないな、なんて想像できるほどここ は命の鼓動にあふれている。


茶色いキノコも木に負けじと幹から顔をのぞかせていた。
冬の最中にあっても森はしっかりと生きている。そして太っちょモミもまたその一員だ。

◎「もみの木」を歌ってお別れ

おにぎりをかじりながら太っちょさんを眺めている内にだんだん霧が濃くなって上の方が白く覆われてきたなと思ったらあっという間に最後には見えなくなってきた。お別れの時間が来たと告げられているような気になる。

じゃ、月並みだけど太っちょさんのテーマソングの3番を歌わせてもらおう。

「もみの木、もみの木、繁れ豊かに。雨にもくじけず、風にも折られず、もみの木、もみの木、繁れ豊かに」

「もみの木」ドイツ民謡、中山知子作詞

会えてうれしかったなあ。いつまでも、いつまでも長生きしてほしい。いつかこの地で朽ちる日まで。

太っちょさん、さようなら


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