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盛岡のすゝめ

盛岡という街についての考察

昨今、なんだか話題となっている盛岡。
ある人からすると何もない街だというし、誰かにとっては心地よい街であるという。自分にとっての盛岡は、結局のところ日常を送るには良い街という位置付け。

街のあちらこちらに今に至るまでの歴史が残り、数多ある中から選べる個人店が溢れ、文明から近すぎず遠すぎずという距離感。

素敵な街の基準には散歩が楽しい風景がある。寺町通、紺屋町、鉈屋町、桜山商店街。見慣れた街でさえ、古びた看板や生活感あふれる私道、季節で咲く野花さえも愛おしく感じる瞬間が次々と登場する。

飽きない街、なのかもしれない。

そんな飽きない街に魅力を感じる人たちが集まり、また魅力を作り出し、けして派手ではない出汁のような良さが滲み出る街ができていくのだろう。

いつか旅好きの祖母が言った言葉が印象的で、鮮明に今でも覚えている。

「 此処がいちばんだと思う為に旅をするの 」

幼少期の記憶にいる祖母はいつも何処かに出掛けていて、部屋にあるお菓子は常に異国のもの。南アフリカのライオンが刻印されたお菓子が現人生史上一番美味しかったが、残念ながら国と味の記憶だけでまたに出会えるのか出会えないのか運命のみ知るところではある(余談)

祖母の一緒に行く?の軽口になんど振り回されたことか。連れて行ってくれるのは全て国内旅行で、海外旅行にはいつも行けなかった記憶しかない。

そんな背中をみながら、いつの日か聞いてみたことがある。他に住みたい街はないのか、と。

祖母は秋田出身で、東京に仕事へ出てから攫われるようにして祖父と結婚して盛岡に住み着いたという。昔の人の姉妹、兄弟の絆というのはなかなかに深いもので特に秋田の姉さんと仙台の妹とはすごく仲が良いのは孫である自分からもよくわかった。
特に秋田への愛は深く、作ってくれたものは秋田の郷土料理が多く常に食材や文化は秋田のものを授けてくれたように思う。

たくさんの国に行き、たくさんの土地を訪れて、故郷である秋田を愛おしく思っていた祖母はきっと盛岡ではない場所を選ぶに違いないと思っていた。

しかしながら、返答は意外なものでどうやら人生の半世紀以上過ごしている盛岡が祖母にとっての安住の地であると。郷愁と好奇心と安寧は似て非なるものなのかもしれない。


自分はというと、大学進学をきっかけに上京し就職も都心でしてしまったわけではあるが、用事も合わさって結局年にかなりの回数盛岡に訪れている。

中学生の頃には東京に住みたいだの、転勤族が羨ましいだの散々だったが今となっては盛岡に拠点を置くことへの良さを挙げる方が容易だ。

知人の中には盛岡なんてつまらないという人もたくさんいる。都会の方がたくさんのものがあって、出会いがあって喜びもある。果たして本当にそうだろうか……。

此処最近の切り返しとしては、つまらないと思っている人にはつまらないとしか映らないしそれについて意見することはない。そんな人に、価値の等価交換ができるとは思わないしその人にはその人の幸せな場所があるのだろう。

「 なにもない 」をそのまま受け取るのは愚行で、何かを探してそれでも見当たらなかったら他を探しに行けば良い。

なんで盛岡が……?と騒がれている最近ではあるが、誰かにとっての盛岡は素敵が詰まった玉手箱のような存在かもしれない。大事にしたいものを大事にできる人や、見つけようと目を凝らした人だけが魅力に気付けるのかもしれない。

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